ものに対して始まるのでなく、表現的なものに対して始まるのである。あたかも画家があらゆる任意の対象を画くのでなく却って芸術的意味を表現するものとして彼に呼び掛けるものを画くように、物理学者もあらゆる任意の対象を研究するのでなく却って物理的意味を表現するものとして彼に呼び掛けるものを研究する。ラッセルがいった如く、物理的認識において「有意味の事実」というものは重要な関係をもち、何が有意味の事実と考えられるかは歴史的に変化している。それは一定の物理法則に関して表現的な事実をいい、物理学者は主としてかような事実について研究するのである。表現的なものの呼び掛けに応えて起る主体の活動が一般に表現作用であり、芸術的活動のみでなく、我々のすべての行為は表現的であり、認識も表現作用の一つにほかならない。我々の行為は単に自己から起るのでなく、世界から喚《よ》び起されるのである。理性はただ主観のうちにあるのでなく、却って物のうちにあるのであり、客観的表現的なものが理性である。真に自己自身に内在的なものは超越的なものによって媒介されたものである。ロゴスは理性を意味すると共に、言葉を、客観的表現的なものを意味す
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