に実践に求めることは、知識の内在的な基準を否定し、その自律性を否定することになるであろう。知識はそれ自身の基準をもっており、行為と対立している。しかし両者はまた統一をなしている。経験というものがまさにそのことを示している。経験論の偏見を離れてみると、経験は単に知識の事柄でなくて行為の事柄である。経験するとは働くことによって知ること、知ることによって働くことである。近代科学における実証的精神というものの本質もそこにあるのであって、その実験的方法は経験の自覚であるということができる。
 さきに述べた如く、カントは自己の哲学的方法を自然科学における実験的方法に比較した。彼が経験のうちに先験的要素を認めたのも、それに関聯して考えることができる。実験において我々はただ偶然に経験するのでなく、方法的に、組織的に、計画的に経験するのである。その場合我々は一定の観念をもって臨み、この観念に従って現象を意識的に作り出すことによって、現象を観察する。即ち実験は単に経験的でなくて先験的な要素を含むといわれるであろう。先験的とは経験から超絶して経験と無関係なもののことでなく、却ってそれによって経験が可能になる
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