疑論に陥ったのである。
カントにとってもその認識論の根本問題は経験であった。彼はヒュームによって独断の眠から醒まされたと告白している。彼もすべての認識が経験と共に始まること、またそれが経験の制約のもとに立たねばならぬことを認めた。しかるに、「我々のすべての認識は経験と共に[#「共に」に傍点]始まるにしても、だからといってそれはすべて経験から[#「から」に傍点]生ずるのではない」、とカントはいっている。もしすべての知識が経験から来るものとすれば、普遍的な必然的な知識の存しないことは、経験論が教える通りである。知識の普遍妥当性の根拠には何か経験から生ずるといわれないものがあるのでなければならぬ。このものは、経験から生ずるものがア・ポステリオリ(後天的、経験的)といわれるに対して、ア・プリオリ(先天的、先験的)と称せられる。カントに依ると、知識の内容は経験的なものであるが、その形式は先験的なものである。知識の形式は主観に具わるものである。しかし合理論において考えられる如く、思惟はそれ自身によって知識を生ずるのでなく、経験に関係付けられなければならない。たとい思惟は経験の範囲を越えてそれ自身
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