に対する指示がなければならぬ。かようなものとしてここで予想されているのは、私の理解する限りの西田哲学であるということができる。もとより西田哲学の解説を直接の目的とするのでないこの書において、私が自由に語った言葉は、すべて私自身のものとして私の責任におけるものである。
すべての学は真理に対する愛に発し、真理に基く勇気を喚《よ》び起すものでなければならない。本書を通じて私が特に明かにしようとしたのは真理の行為的意味である。哲学は究極のものに関心するといっても、つねにただ究極のものが問題であるのではない。我々が日々に接触する現実を正しく見ることを教え得ないならば、いかに深遠に見える哲学もすべて空語に等しい。この書が現実についての諸君の考え方に何等かの示唆を与えることができるならば、幸である。
本書の出版にあたって岩波書店小林勇、小林龍介両君並びに三秀舎島誠君に多大の世話になったことを記して、感謝の意を表する。
一九四〇年三月
[#地から3字上げ]三木清
[#改ページ]
序論
一 出発点
哲学が何であるかは、誰もすでに何等か知っている。もし全く知らないなら
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