知識の問題の中心をなすのは真理の問題である。知識とは真なる知識のことであって、偽りの知識は知識ともいわれない。知識は真理であることを要求している。真理は知識の価値を意味し、これに対して虚偽は反価値である。真理と虚偽とは理論的領域における価値と反価値との対立を表わす言葉である。真理とはいかなるものであろうか。
 知識は個人的なものでなくて一般に認められるものでなければならぬ。ただ自分はそう考えるというのでは単なる意見であって、知識ではない。自分にとってはそうであるが他の者にとってはそうでないというものは真理とはいい得ない。真理はあらゆる人によって承認さるべき要求を含んでいる。或る時にはそうであるが、他の時にはそうでなく、或る処ではそうであるが他の処ではそうでないというものも真理でなく、真理は時と処を超えて通用するものでなければならぬ。知識はかような性質をもつべきものであって、普遍妥当性といわれるのがそれである。真理とは普遍妥当的な知識にほかならない。普遍妥当性とは、時と処に拘わらない普遍性、またすべての人が必ず承認しなければならぬ必然性を意味している。一般に価値とはかように普遍妥当的なものをいうのである。普遍性と必然性、或いは普遍妥当性は真理の徴表である。
 ところで知るということは一つの心理的事実であるが、かようなものとして見ると、知識はつねに普遍性と必然性をもっているとはいわれないであろう。或る者が真理として主張するものも、他の者は承認しないことが多い。真理はしばしば万人に反対して叫ばれるのである。すべての人に承認される真理というものはむしろ存在しないのが普通である。個人としても、昨日まで真理と確信していたものに対して、今日は懐疑的になることがある。一つの知識も、或る人には一層多く必然的と思われ、他の人には一層少く必然的と思われるであろう。かように、心理的事実としては、知識はつねに普遍性と必然性をもっているとはいえない。そこで知識の普遍妥当性は、カントの言葉を借りていうと、事実の問題でなくて権利の問題であると考えられるのである。それは知識が事実として普遍性と必然性をもっているか否かに関わるのでなく、すべての知識は権利として普遍妥当性を要求することをいうのである。真理は、実際は何人も承認しないにしても、あらゆる人によって承認さるべき権利をもっている。真理のこの要
前へ 次へ
全112ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング