である。
 構成的であることを要求されてゐるところに自叙伝の困難がある。なぜなら構成的手法または技巧はたいていの場合自己の思想や感情のまともな表現を害ふものであるから。歴史的であり、従つてすぐれた「歴史的意識」が必要とされてゐると共に、それがほかならぬ「自己」の歴史であるべきところに、自叙伝の困難がある。それでイギリス史についての大作をなしたヒュームも自伝については最も簡単に記す道を選んだのである。
 もつとも伝記、そして自叙伝といふ語はもつと広い意味に用ゐられることもできる。かくて例へばいふ、プラトンの対話篇アポロギアよりもすぐれたソクラテスの伝記はあるであらうか、と。またいふ、彼の懴悔録よりほかにアウグスティヌスの如何なる伝記も本質的に存し得ない。またいふ、キェルケゴールの日記は彼について存し得る唯一の伝記である。このやうにして日記と自叙伝とは一つの範疇に入れられる。そしてこれは或る意味でたしかに正しい、且つ深い見方を含んでゐる。だがその意味を哲学的に解明するための余白を私はもうもつてゐない。
 最後にただひとこと。日記と自叙伝に対する興味が他人の私事の秘密をのぞかうといふ卑しい心、成功主義的または英雄主義的の安価な感激を求むる心にもとづかないにしても、それが心理的主観的なものに対する偏愛、客観的現実と社会的実践からの逃避、主観主義的、個人主義的な道学者趣味、等々のものにしらずしらず結び付いてゐることの多いのを指摘しておくことが必要であらう。日記や自叙伝に対する興味は「文化人」のものであるといふことのうちにすでに或る危険が含まれてゐる。



底本:「日本の名随筆 別巻28 日記」作品社
   1993(平成5)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「三木清全集 第一二巻」岩波書店
   1967(昭和42)年9月発行
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2010年3月3日作成
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