は当然であった。私はもとより無名の書生であったし、パスカルといえば専門家を除き一般の読者においては中学校の数学の時間にパスカルの定理というものを習った記憶があるだけで、そのパスカルと『人間の研究』――こういう言葉も当時の読者には全く親しみのないものであったであろう――との間にどのような関係があるのか、理解できないことであった。そしてそれはまた当然であるのだ。パスカルというのはそのように不思議な存在なのである。もちろん、現在では事情が変っている。『パンセ』を初めパスカルのいくつかの作品が翻訳され、広く読まれている。私のパスカルもその後徐々に読者を見出すようになり、今も版を重ねている。出来不出来は別として、処女作の出版というものは著述家にとってつねに懐しい思い出である。
パスカルやモンテーニュから入って、私はフランス哲学に対して次第に深い興味をもつようになった。それもさかのぼると、西田先生の著書や講義でメーヌ・ドゥ・ビランなどという、当時わが国ではあまり知られていなかった哲学者のことを知らされて、未知のものに対する憧れを感じたことに由来するであろう。私はいつも未知のものに対して憧れてきた
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