の時代であったのである。その頃ドイツには日本からの留学生が非常に多くいた。私の最も親しくなったのは羽仁であったが、私と同時にあるいは前後して、ハイデルベルクにいて知り合った人々には、大内兵衛、北※[#「日+令」、第3水準1−85−18]吉、糸井靖之(氏はついにハイデルベルクで亡くなった)、石原謙、久留間鮫造、小尾範治、鈴木宗忠、阿部次郎、成瀬無極、天野貞祐、九鬼周造、藤田敬三、黒正厳、大峡秀栄、等々、の諸氏がある。
 私がハイデルベルクに行ったのは、この派の人々の書物を比較的多く読んでいたためであり、リッケルト教授に就いてさらに勉強するためであった。リッケルト教授はハイデルベルクの哲学を代表し、その講義はかつてヘーゲルが、クーノー・フィッシェルが、ヴィンデルバントが講義したことがあるという由緒のある薄暗い教室で行なわれた。――リッケルトに『ドイツ哲学におけるハイデルベルクの伝統』(一九三一年)という講演の出版されたものがある。――リッケルト教授には自分の家を離れると不安を感じるという一種の神経性の病気――学生たちはたしか[#ここから横組み]“Platzangst”[#ここで横組み終わり
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