一高時代、私はほとんど毎日曜日、寮の弁当を持って、ところ定めず武蔵野を歩き廻ったことがある。それはその頃読んでいた芭蕉などに対する青年らしい憧憬でもあったが、根本はやはり『奥の細道』でなくて『自然と人生』であった。蘆花を訪ねたことはついになかったが、彼が住んでいた粕谷のあたりをさまよったことは一再ではない。利根川べりの息栖とか小見川とかの名も蘆花を通して記憶していて、その土地を探ねて旅したこともある。彼によってまず私は自然と人生に対する眼を開かれた。もし私がヒューマニストであるなら、それは早く蘆花の影響で知らず識らずの間に私のうちに育ったものである。彼のヒューマニズムが染み込んだのは、田舎者であった私にとって自然のことであった。今も私の心を惹くのは土である。名所としての自然でなくて土としての自然である。それは風景としての自然でさえない。芭蕉でさえも私には風流に過ぎる。風流の伝統よりも農民の伝統を私は尊いものに考えるのである。もっとも、蘆花の文学は農民の文学とはいえないであろう。私は今彼を読み直してみようとは思わない。昔深く影響されたもので、その思い出を完全にしておくために、後に再び読ん
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