よるものである。したがって当時歴史哲学として問題にされたのは、主として歴史的認識に関する方法論、認識論の形式的論理的問題であって、ヘーゲルが考えたような世界史の哲学としての内容的な歴史哲学ではなかった。ディルタイの仕事の意味なども、まだ一般には十分に認識されてはいなかった。私も新カント派に導かれて歴史哲学の研究に入ったのである。ヴィンデルバントの『プレルーディエン』、リッケルトの『自然科学的概念構成の限界』や『文化科学と自然科学』などから始めて、ジンメルの『歴史哲学の諸問題』等、またトレルチのやがて『歴史主義とその諸問題』に収められた論文を雑誌で探して、勉強した。特にトレルチのものが身になったように思う。その時分メーリスの『歴史哲学教科書』が評判になって、読みたいと思い、学校の研究室へ借りに行ったが、いつも誰かがすでに借り出していて見ることができず、だいぶんたってから、外国に注文しておいたのがやっと手に入って、読んでみるとそのつまらないのにがっかりしたことがある。評判の本が必ずしもよいとは限らない一つの例である。評判になるというにはいろいろ理由があるので、内容の質にばかりよらないのであ
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