。独法の我妻栄、三輪寿壮などの諸君もボートの関係で知り合いになった人々である。京都大学に入ってからも、私は文科の選手として琵琶湖や瀬田川でボートを漕いだことがある。
ともかく私の読書の興味の中心は次第に文学書から宗教書に移っていった。それは時代の精神的気流の変化の影響によることでもある。トルストイの『わが懺悔』が文学青年の間にも大きな影響を見出すというような時代であった。これは私も感激をもって読んだ本である。私はいつのまにか『芸術とは何ぞや』におけるトルストイに共鳴を感じるようになっていた。彼の『人生論』なども感動させられた本である。私の場合かようなことは中学時代に耽読した徳富蘆花の影響によって知らず識らず準備されていたといえるであろう。私も一時はある種のトルストイ主義者であった。去年の夏、満洲を旅行した時、汽車の中へ岩波文庫版の『イワンの馬鹿』、『人は何で生きるか』というような当時愛読したトルストイの小品を持ち込んで久し振りに読み直してみたが、今度はそれほど深い感動を覚えることができなかった。私はそこに何か気取りに似たものを感じた。しかし老齢になってからもなお気取ることができたとこ
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