。マールブルクからパリへ、永らく考え慣れたドイツ哲学の土地を離れて出て来たのも、未知のものに対する憧れからであった。西田先生は近年ことによくフランス哲学の研究をひとに勧められていたようである。パスカルについて書いているうちに、次に書いてみたいと考えたのはデカルトであった。その時分シュヴァリエの『パスカル』および『デカルト』を読んで、その明晰な叙述から利益を受けたが、それに影響されたというものであろうか。この次はデカルトについて書くとたびたび友人に話し、一度は私のデカルト研究というものの予告が書肆の広告にも出たくらいであるが、いまだに実現しないでいるのは恥しいことである。――今度『文学界』にデカルト覚書の連載を始めたのも、いつまで続けられるか分らないことではあるが、せめて当座の埋合せにしたいためである。――パリの下宿で描いていた夢をすぐに実現するにしては全く違った事情がやがて帰って来た日本においては存在していたのである。しかしマールブルク以来私の経験したいわゆる不安の哲学とか不安の文学とかが数年後には日本においても流行するようになった。それが数年後であったということは当然であった。なぜならそれが来るためにはフランスやドイツにおいて見られたように一つの要素、すなわちマルキシズムの流行が先ずなければならなかったからである。それが順序である。そう考えてくると、思想の流行というものにも何か必然的な法則があるように思われるのである。
[#地付き](『文芸』一九四一年六月―十二月号)



底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
   1966(昭和41)年5月30日初版発行
   1975(昭和50)年5月30日初版第14刷
初出:「文芸」
   1941(昭和16)年6月号〜12月号
入力:文子
校正:川山隆
2007年1月7日作成
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