経済学者などの書くものに私が注意を向けるようになったのはその時以来のことである。当時そうした本で最も印象に残っているのは、小樽高等商業学校の教授で、その才を惜しまれつつ若くして亡くなった大西猪之介氏の『囚われたる経済学』である。後に左右田博士の斡旋で『大西猪之介経済学全集』が出た時、私も求めて所蔵している。左右田先生は、私が大学院にいた頃、京都に講義に来られたことがあるが、その時初めて先生にお目にかかり、その学問に対する純粋な愛に深く打たれた。その後私はドイツに留学した時、リッケルト教授のゼミナールに出席し、左右田博士のリッケルト批評について報告したことがあるが、リッケルト教授も左右田博士も共に喜ばれた。そんなことから左右田先生とつながりができ、先生が亡くなられて後にも、先生の愛弟子であった本多謙三君と親しくしていたが、その本多君も前途を嘱目されつつ先年亡くなってしまったのは惜しいことである。ところがまた私は、やはり先生の愛弟子《まなでし》である杉村広蔵君の隣に住み、親しく交るようになったというのも、左右田先生につながる因縁であろうか。

      九

 京都大学の諸先生からはいずれもいろいろ影響を受けたが、中にも私が入学したのと同じ年に波多野精一先生が東京から宗教学の教授になって来られたのは、私にとって仕合わせなことであった。先生の名は『西洋哲学史要』、『スピノザ研究』、『キリスト教の起源』などの著書を通じて知っていたが、その頃先生の思想も新カント派に近かったようである。先生は最もプロフェッサーらしいプロフェッサーであった。私は先生から歴史研究の重要なことについて深く教えられた。また西洋哲学を勉強するにはそのいわば永遠の源泉であるギリシア哲学とキリスト教とをぜひ研究しなければならぬということを諭《さと》されたのも先生であった。その影響で私はギリシア語の勉強を始め、辞書と首引きでプラトンを読んだり、またキリスト教の文献に注意するようになった。これまでの自分を振返ってみると、私は考え方の上では西田先生の影響を最も強く受け、研究の方向においては波多野先生の影響を最も多く受けていることになるように思う。私の勉強が歴史哲学を中心とするようになったこと、あるいはアリストテレスなどの研究に興味をもつようになったこと、またパスカルなどについて書くようになったことは、その遠い原
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