懷疑においてある。

 すべての懷疑にも拘らず人生は確實なものである。なぜなら、人生は形成作用である故に、單に在るものでなく、作られるものである故に。
[#改ページ]

    習慣について

 人生において或る意味では習慣がすべてである。といふのはつまり、あらゆる生命あるものは形をもつてゐる、生命とは形であるといふことができる、しかるに習慣はそれによつて行爲に形が出來てくるものである。もちろん習慣は單に空間的な形ではない。單に空間的な形は死んだものである。習慣はこれに反して生きた形であり、かやうなものとして單に空間的なものでなく、空間的であると同時に時間的、時間的であると同時に空間的なもの、即ち辯證法的な形である。時間的に動いてゆくものが同時に空間的に止まつてゐるといふところに生命的な形が出來てくる。習慣は機械的なものでなくてどこまでも生命的なものである。それは形を作るといふ生命に内的な本質的な作用に屬してゐる。
 普通に習慣は同じ行爲を反覆することによつて生ずると考へられてゐる。けれども嚴密にいふと、人間の行爲において全く同一のものはないであらう。個々の行爲にはつねに偶然的なところ
前へ 次へ
全146ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング