がある。我々の行爲は偶然的な、自由なものである故に習慣も作られるのである。習慣は同じことの反覆の物理的な結果ではない。確定的なものは不確定なものから出てくる。個々の行爲が偶然的であるから習慣も出來るのであつて、習慣は多數の偶然的な行爲のいはば統計的な規則性である。自然の法則も統計的な性質のものである限り、習慣は自然であるといふことができる。習慣が自然と考へられるやうに、自然も習慣である。ただ、習慣といふ場合、自然は具體的に形として見られなければならぬ。
模倣と習慣とは或る意味において相反するものであり、或る意味において一つのものである。模倣は特に外部のもの、新しいものの模倣として流行の原因であるといはれる。流行に對して習慣は傳統的なものであり、習慣を破るものは流行である。流行よりも容易に習慣を破り得るものはないであらう。しかし習慣もそれ自身一つの模倣である。それは内部のもの、舊いものの模倣である。習慣において自己は自己を模倣する。自己が自己を模倣するところから習慣が作られてくる。流行が横の模倣であるとすれば、習慣は縱の模倣である。ともかく習慣もすでに模倣である以上、習慣においても我々の一つの行爲は他の行爲に對して外部にあるものの如く獨立でなければならぬ。習慣を單に連續的なものと考へることは誤である。非連續的なものが同時に連續的であり、連續的なものが同時に非連續的であるところに習慣は生ずる。つまり習慣は生命の法則を現はしてゐる。
習慣と同じく流行も生命の一つの形式である。生命は形成作用であり、模倣は形成作用にとつて一つの根本的な方法である。生命が形成作用(ビルドゥング)であるといふことは、それが教育(ビルドゥング)であることを意味してゐる。教育に對する模倣の意義については古來しばしば語られてゐる。その際、習慣が一つの模倣であることを考へると共に、流行がまた模倣としていかに大きな教育的價値をもつてゐるかについて考へることが大切である。
流行が環境から規定されるやうに、習慣も環境から規定されてゐる。習慣は主體の環境に對する作業的適應として生ずる。ただ、流行においては主體は環境に對してより多く受動的であるのに反して、習慣においてはより多く能動的である。習慣のこの力は形の力である。しかし流行が習慣を破り得るといふことは、その習慣の形が主體と環境との關係から生じた辯證法的なものであるためである。流行のこの力は、それが習慣と相反する方向のものであるといふことに基いてゐる。流行は最大の適應力を有するといはれる人間に特徴的である。習慣が自然的なものであるのに對して、流行は知性的なものであるとさへ考へることができるであらう。
習慣は自己による自己の模倣として自己の自己に對する適應であると同時に、自己の環境に對する適應である。流行は環境の模倣として自己の環境に對する適應から生ずるものであるが、流行にも自己が自己を模倣するといふところがあるであらう。我々が流行に從ふのは、何か自己に媚びるものがあるからである。ただ、流行が形としては不安定であり、流行には形がないともいはれるのに對して、習慣は形として安定してゐる。しかるに習慣が形として安定してゐるといふことは、習慣が技術であることを意味してゐる。その形は技術的に出來てくるものである。ところが流行にはかやうな技術的な能動性が缺けてゐる。
一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといはれる。しかし實をいふと、習慣こそ情念を支配し得るものである。一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといはれるやうな、その情念の力はどこにあるのであるか。それは單に情念のうちにあるのでなく、むしろ情念が習慣になつてゐるところにある。私が恐れるのは彼の憎みではなくて、私に對する彼の憎みが習慣になつてゐるといふことである。習慣に形作られるのでなければ情念も力がない。一つの習慣は他の習慣を作ることによつて破られる。習慣を支配し得るのは理性でなくて他の習慣である。言ひ換へると、一つの形を眞に克服し得るものは他の形である。流行も習慣になるまでは不安定な力に過ぎない。情念はそれ自身としては形の具はらぬものであり、習慣に對する情念の無力もそこにある。一つの情念が他の情念を支配し得るのも、知性が加はることによつて作られる秩序の力に基いてゐる。情念は形の具はらぬものとして自然的なものと考へられる。情念に對する形の支配は自然に對する精神の支配である。習慣も形として單なる自然でなく、すでに精神である。
形を單に空間的な形としてしか、從つて物質的な形としてしか表象し得ないといふのは近代の機械的な悟性のことである。むしろ精神こそ形である。ギリシアの古典的哲學は物質は無限定な質料であつて精神は形相であると考へた。
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