る。いまもし現代が新しいルネサンスであるとしたなら、そこから出てくる新しい古典主義の精神は如何なるものであらうか。
愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに從つて、死の恐怖は反對に薄らいでゆくやうに思はれる。生れてくる者よりも死んでいつた者に一層近く自分を感じるといふことは、年齡の影響に依るであらう。三十代の者は四十代の者よりも二十代の者に、しかし四十代に入つた者は三十代の者よりも五十代の者に、一層近く感じるであらう。四十歳をもつて初老とすることは東洋の智慧を示してゐる。それは單に身體の老衰を意味するのでなく、むしろ精神の老熟を意味してゐる。この年齡に達した者にとつては死は慰めとしてさへ感じられることが可能になる。死の恐怖はつねに病的に、誇張して語られてゐる、今も私の心を捉へて離さないパスカルにおいてさへも。眞實は死の平和であり、この感覺は老熟した精神の健康の徴表である。どんな場合にも笑つて死んでゆくといふ支那人は世界中で最も健康な國民であるのではないかと思ふ。ゲーテが定義したやうに、浪漫主義といふのは一切の病的なもののことであり、古典主義といふのは一切の健康なもののことであるとすれば、死の恐怖は浪漫的であり、死の平和は古典的であるといふこともできるであらう。死の平和が感じられるに至つて初めて生のリアリズムに達するともいはれるであらう。支那人が世界のいづれの國民よりもリアリストであると考へられることにも意味がある。われ未だ生を知らず、いづくんぞ死を知らん、といつた孔子の言葉も、この支那人の性格を背景にして實感がにじみ出てくるやうである。パスカルはモンテーニュが死に對して無關心であるといつて非難したが、私はモンテーニュを讀んで、彼には何か東洋の智慧に近いものがあるのを感じる。最上の死は豫め考へられなかつた死である、と彼は書いてゐる。支那人とフランス人との類似はともかく注目すべきことである。
死について考へることが無意味であるなどと私はいはうとしてゐるのではない。死は觀念である。そして觀念らしい觀念は死の立場から生れる、現實或ひは生に對立して思想といはれるやうな思想はその立場から出てくるのである。生と死とを鋭い對立において見たヨーロッパ文化の地盤――そこにはキリスト教の深い影響がある――において思想といふものが作られた。これに對して東洋には思想がないといはれる
前へ
次へ
全73ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング