よりも美的である。はかないものは美しい。美には何かはかなさというべきものがある。「あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟《けむり》立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ」と『徒然草』の著者は書いている(第七段)。いつまでも生きてこの世に住んでいるということが人間のならいであったら、実に無趣味なものであろう。老少不定、我々の命がいつ終わるという規定の全くない世であるが、そこが非常に面白いのである、というのである。無常は美的な観照に融け込む。仏教は特に平安朝時代の文学においてその唯美主義と結びつき、かつこれに影響を与えたのである。かくして無常感は唯美主義と結びついて出世間的な非現実主義となった。『方丈記』の著者のごときもその著しい例である。
これに対して親鸞はどこまでも宗教的であった。宗教的であった彼は美的な無常思想にとどまることができなかった。次に彼の現実主義は何よりも出家仏教に満足しなかった。無常思想は出世間の思想と結びつく、これに対して彼の思想の特色は在家仏教にある。無常の思想はもとより単に美的な観照にとどまるものではない。それはしかしより高い段階においても観想に結びつく。芸術的観照から哲学的観想に進む。仏教における無常の思想は我々をここまでつれてくる。しかし美的な観照も哲学的な観想も観想として非実践的である。これに対して親鸞の思想はむしろ倫理的であり、実践的である。浄土真宗を非倫理的なもののごとく考えるのは全くの誤解である。親鸞には無常の思想がない。その限りにおいても彼の思想を厭世主義と考えることはできない。
親鸞においては無常感は罪悪感に変っている。自己は単に無常であるのではない、煩悩の具わらざることのない凡夫、あらゆる罪を作りつつある悪人である。親鸞は自己を愚禿《ぐとく》と号した。「すでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす」といっている。承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあった。親鸞もその一人として僧侶の資格を奪われて越後の国府に流された。かくして、すでに僧にあらず、しかしまた世の生業につかぬゆえ俗にあらず、かくして禿の字をもって姓とする親鸞である。しかも彼はこれに愚の字を加えて自己の号としたのである。愚は愚癡《ぐち》である。すでに禿の字はもと破戒を意味している。かくして彼が非僧非俗破戒の親鸞と称したことは、彼の信仰の深い体験に基づくのであって、単に謙遜のごときものではない。それは人間性の深い自覚を打ち割って示したものである。
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賢者の信をききて、愚禿が心をあらはす。
賢者の信は、内に賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。
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と『愚禿鈔』に記している。外には悟りすましたように見えても、内には煩悩の絶えることがない。それが人間なのである。すべては無常と感じつつも、これに執着して尽きることがない。それが人間なのである。弥陀の本願はかかる罪深き人間の救済であることを聞信している。しかも現実の人間はいかなるものであるか。
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「まことに知んぬ、かなしきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚のかずにいることをよろこばず、真証の証にちかづくことをたのしまざることを、はづべし、いたむべし。」
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罪悪の意識はいかなる意味を有するか。機の自覚を意味するのである。機とは何であるか。機とは自覚された人間存在である。かかる自覚的存在を実存と呼ぶならば、機とは人間の実存にほかならない。自覚とは単にわれがわれを知るということではない。われはいかにしてわれを知ることができるか。われがわれを知るというとき、われはわれを全体として知ることがない。なぜなら、われがわれを知るという場合、知るわれと知られるわれとの分裂がなければならず、かように分裂したわれは、その知られるわれとして全体的でなくかえって部分的でなければならぬ。したがってその場合、自覚的なわれよりもむしろ主客未分の、したがって無意識的な、無自覚的なわれが、したがって知的な、人間的なわれよりも、実践的な、動物的なわれがかえって全体的なわれであるともいい得るであろう。
機という字は普通に天台大師の『法華玄義』に記すところにしたがって、微・関・宜の三つの意味を有するとされている。それはまず第一に機微という熟字に見られるごとく微の意味を有する。弩《いしゆみ》に発すべき機がある故に、射る者これを発すれば直ちに箭《や》が動く。未だ発現しないで可能性としてかすかに存するすがたが微であり、機である。可能的なものはいまだ顕わではなく含蓄的に微《かす》かに存するのである。しかし可
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