あると述べている。「九十五種みな世を汚す、ただ仏の一道のみひとり清閑なり」と善導はいっている。仏教とその他の教との価値の差別は絶対的である。我々はまずこのことを知らねばならぬ。仏教は絶対的真理であり、他の教の真理は相対的価値を有するに過ぎぬ。しかも、相対的真理はその相対的価値においていかに高まるにしても、またそのすべてを加え合せても絶対的真理となることはできない。
 我々にとって何よりも必要なことはまずこの絶対的真理を把捉することである。しかもこれはただ超越によって捉えられることができる。信とはかくのごとき超越を意味している。相対的真理から絶対的真理へは非連続的である。これに反して絶対的真理から相対的真理へは連続的である。前者は後者の根拠としてこれを含むことができる。親鸞は信巻において『浄土論註』から次の文を引いている。「もし諸仏菩薩、世間出世間の善道を説きて、衆生を教化するひとましまさずば、あに仁義礼智信あることを知らんや。かくのごとき世間の一切善法みな断じ、出世間の一切賢聖みな滅しなん。」すなわち世間の法たる仁義礼智信の五常もまた仏道におさまるのである。仏法があるによって世間の道も出てくるのである。



底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
   1966(昭和41)年5月30日発行
初出:「展望」
   1946(昭和21)年1月
入力:川山隆
校正:松永正敏
2007年11月16日作成
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