は次元を異にしている。親鸞は右の文において自己のたどりついた信仰の立場から、自己の経験してきた内面的生活を回顧してその歴史を叙述した。この回顧[#「回顧」に傍点]すなわち歴史叙述は、信仰の最も高い立場からより低い立場に対する反省であり、したがって同時にこれに対する批判[#「批判」に傍点]である。しかしこの批判は単なる否定ではなくて同時に摂取であることが明らかになるであろう。そして回顧として歴史的であり、批判として論理的である。現実の歴史は本願の法理において客観性[#「客観性」に傍点]、単なる年代記的歴史以上の客観性を与えられ、本願の法理は歴史のなかにおいて、単なる論理を超えた現実性[#「現実性」に傍点]を示されたのである。かかる客観性の故に自己の歴史は告白するに値するのであって、いわゆる三願転入の自督は感傷とは全く性質を異にしている。またかかる現実性の故に本願の法理は仰信せらるべきものであるのである。
さて三願とは何をいうのであるか。右の文によれば「万行諸善の仮門」、これが第一の段階である。これは『大無量寿経』における第十九願に当る。その文にいう、
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「たとひわれ仏をえたらんに、十方の衆生、菩提心をおこし、もろもろの功徳を修し、心を至し発願して、わが国に生ぜんとおもはん、寿終のときにのぞんで、たとひ大衆と囲遶して、その人のまへに現ぜずば、正覚をとらじ。」
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この文によってこの第十九願は「修諸功徳の願」と名づけられており、「万行諸善」というはこれを指している。弥陀の本願は生の現実に徹入する。この願、詳しく言えば、道心をおこし、これを成就させるためにもろもろの善行を修め、かくして至心をもって発願し、その修めるところの善行をもってわが浄土に往生しようとする衆生があるとき、その人の臨終にもし観音勢至らの大衆とともにその人の前に現われて来迎しないならば、――そこでこの願は臨終現前の願、現前導生の願、来迎引接の願ともなづけられる――われは正覚を聞かないであろうという、弥陀の誓いは、現実にかくのごとき人間の存在することを現わしている。本願はつねに歴史的現実(機)に相応するところの衆生済度の愛の願いである。ひとは邪道を離れて仏門に入る。そのとき彼がまず為そうとすることは何であるか。もろもろの善を行ない、もろもろの功徳を積むことである。かように善を行ない、功徳を積むのでなければ浄土往生は不可能であると考える故である。彼は自己の修めた万善万行によって、それが原因となり、その結果として浄土往生が遂げられると考える。これは理義明白である。これよりも明白な理義はない。これ以外に理義はあり得ないもののごとくである。彼の発願はきわめて真面目である。彼は自己の力のあらんかぎり善行を修め、功徳を積もうとする。彼の努力はきわめて真面目である。しかし彼が真面目であればあるだけ、彼が努力すれば努力するだけ、彼は自己の虚しさ、自己の偽りを感ぜざるを得ない。外から見れば一点の非の打ちどころのない生活にも、内に省みるとき虚偽が潜んでいることが自覚せられる。他人の不幸を憐んで物施しをする者に、自己の優越を誇り、他人の不幸を喜ぶ心が裏にないか。心において一度も窃盗をしたことのない者、姦淫をしたことのない者がない。道徳を守ることが、単に名利のために過ぎないということはないか。外においてどれほど善を行なおうとしても、悪心は絶えず裏から潜んでくる。かくして、
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「しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道をいでて、半満権実の法門にいるといへども、真なるものは、はなはだもてかたく、実なるものは、はなはだもてまれなり。偽なるものは、はなはだもておほく、虚なるものは、はなはだもてしげし。」
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と批判せられるのである。
もとよりかくのごとき種類の人間にも弥陀は手をのべる。「すでにして悲願います、修諸功徳の願となづく。」これが第十九願である。ここに得られる往生は「双樹林下往生」と呼ばれている。双樹は沙羅双樹であって、釈迦は拘尸那《クシナ》城外の沙羅双樹の下で涅槃に入ったと伝えられる。双樹林下往生というのは自力修善の人々の往生をいうのである。しかしこの願の本旨は臨終現前とか来迎引接とかにあるのであろうか。そこにさらに何かより深い意味があるのであろうか。我々の思惟し得る限りにおいては、みずからあらゆる善行を励み、これを差し向けて浄土に往生しようとすることは、理の当然であって、それが究極のものである。これ以外に往生の道はないはずである。しかしながら、もしそうであるとすれば、はたして我々は実際に善を修めているのであるか。深く省みれば省みるほど自己の無力を歎ぜざるを得ないであろう。もとよりある者は
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