られる。
 ところで親鸞は『教行信証』の同じ箇所でまた『安楽集』によって、仏滅後の時代を五百年ずつに区分する『大集月蔵経』の説を採り上げている。「大集月蔵経にのたまはく、仏滅度ののちの第一の五百年には、わがもろもろの弟子、慧を学すること堅固なることをえん。第二の五百年には、定を学すること堅固なることをえん。第三の五百年には、多聞読誦を学すること堅固なることをえん。第四の五百年には、塔寺を造立し、福を修し、懺悔すること堅固なることをえん。第五の五百年には、白法隠滞して、おほく諍訟あらん。すこしき善法ありて堅固なることをえん、と。」わが伝教大師の作と考えられた『末法燈明記』もこの説を採っており、『教信行証』に引用されているところである。ここでは、最初の五百年は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固、次の五百年は多聞堅固、次の五百年は造寺堅固、後の五百年は闘諍堅固にして白法隠没するの時として、特色づけられる。すなわち、初めの三期の五百年は、次第して、戒と定と慧の三学が堅固にとどまる時であり、なかに第一の五百年は正法、次の二期の五百年は像法一千年に当たり、これら三期の五百年の後には戒定慧は存しなくなる。第四の造寺堅固の五百年以下は末法に属し、中でも第五の五百年の闘諍堅固というのは、多くの人々がたたかい、あらそい、堅くこれを執って捨てることなく、あらそいやたたかいが盛んなことを意味するのである。
 ところで正像末史観の有する意義は、『安楽集』の著者にとっても、『末法燈明記』の著者にとっても、この史観、この教、すなわち三時教を根拠として、自己の属する時代、この現在[#「現在」に傍点]がいかなるものであるかを、いな、この現在がまさに末法[#「末法」に傍点]に属することを理解するに存した。かくて道綽は、右に記したごとく五期の五百年を区分した後、「今の時の衆生をはかるに、すなはち仏、世を去りてのちの第四の五百年にあたれり」といって、その時代がまさに末法に入っていることを記している。また『末法燈明記』の著者は、正法五百年像法一千年の後は末法に属すると述べた後、「問ふ、もししからば今の世はまさしくいづれの時にかあたれるや。答ふ、滅後の年代おほくの説ありといへども、しばらく両説をあぐ。一には法上師等、周異記によりていはく、仏、第五の主、穆王満五十三年壬申にあたりて入滅したまふ。もしこの説によらば、
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