りそうであった。恐らく先生は論文を書いてゆかれるうちに、講義をしてゆかれるうちに、ひとと座談をされるうちに、初め自分に考えていられなかったような思想の緒を見出されるのではあるまいか。『自覚に於ける直観と反省』以来、文字通りに悪戦苦闘しながら先生が体系家として生長された時代に、私は先生の学生であったことを幸福に思う。先生のあの独特な講義の仕方を考えて、私は特にそのことを感じるのである。それは単に説明を与えられることでなく、先生の場合、その哲学がどのようにして作られてゆくかを直接に見ることであった。
 弟子たちの研究に対しては、先生はめいめいの自由に任されて、干渉されることがない。その点、無頓着《むとんじゃく》に見えるほど寛大で、一つの型にはめようとするが如きことはせられなかった。先生は各人が自分の個性を伸ばしてゆくことを望まれて、徒《いたず》らに先生の真似をするが如きことは却《かえ》って苦々しく感じられたであろう。こんなことをやってみたいと先生に話すと、先生はいつでも「それは面白かろう」といって、それに関聯《かんれん》していろいろ先生の考えを述べて下さる。そんな場合、私は先生に対して善いお父さんといった親しみを覚える。先生にはつねに理解がある。誰でも先生の威厳を感じはするが、それは決して窮屈というものではない。先生を訪問して、殆ど何も話すことができないで帰ってくる学生にしても、決して窮屈を感じたのではない。そんなところに先生の豪《えら》さがあると思う。先生は自分の考えを弟子たちに押し附けようとはせられない。自分から進んで求めるということがなく、しかし来る者を拒むということがない。直接先生から教を受けた者はもちろん、そうでない人々にも先生を師と仰ぐ者が多いのは、先生の哲学の偉大さに依ることは云うまでもないが、こうした先生の人柄にも依ることであろう。

 先生の哲学は単にその天才にのみ依るものではない。先生はたいへんな勉強家である。七十歳を越えられた今日なお絶えず新しいものを勉強されているのである。勤勉が思想家の重要な徳であるということを私は先生から学んだ。哲学者と称する者の陥り易い瞑想癖《めいそうへき》から彼を救い、その瞑想を思索に転じ、思索のうちに瞑想的なものを活かさせることができるのは勤勉である。先生は非常な読書家でもある。絶えず外国の哲学界に注意し、新刊書なども広
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