、通例のごとく身体の健康に飲料が役立つということからではなく、かえって水腫病において起るごとく、或る反対の原因から惹き起されるならば、それがこの場合に欺くということは、反対に身体が健全な状態にあるときにつねに欺くということよりも、遥かにいっそう善いことである。そしてその他の場合についても同様である。
ところでこの考察は、単に私の本性が陥り易いすべての誤謬に気づくためにのみでなく、またこれらの誤謬を容易に匡《ただ》しあるいは避け得るために、はなはだ多くの貢献をするのである。なぜなら実に、私はすべての感覚が身体の利益に関することがらについて偽よりも真を遥かにしばしば指示することを知っているし、また私は或る同じものを検査するためにほとんどつねにこれらの感覚の多くを使用することができるし、そしてその上に、現在のものを先行のものと結合するところの記憶や、すでに誤謬のすべての原因を洞見したところの悟性をも使用することができるからして、もはや私は毎日感覚によって私に示されるものが偽でありはしないかと恐れることを要せず、かえって過ぐる日の数々の誇張的な懐疑は、笑に値するものとして、追い払わるべきもの
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