とを教えるのである。しかるにこれらの神経は、足から脳髄に達するためには、脛、腿、腰、脊及び頸を経由しなくてはならぬゆえに、たといこれらの神経の足のうちにある部分が触れられなくて、ただ中間の部分の或るものが触れられても、脳髄においては足が傷を受けたときに生ずるのとまったく同じ運動が生じ、そこから必然的に精神は足においてそれが傷を受けたときのと同じ苦痛を感覚するということが起り得るのである。そして同じことが他のどのような感覚についても考えられねばならない。
最後に私は、直接に精神に影響を与えるところの脳髄の部分において生ずる運動のおのおのは、精神に或る一定の感覚しかもたらさないのであるからして、この場合、この運動が、それのもたらし得るあらゆる感覚のうち、健康な人間の保存に最も多くかつ最もしばしば役立つところのものをもたらすということよりもいっそう善いいかなることも考え出され得ないということを認めるのである。しかるに経験は自然によって我々に賦与せられたすべての感覚がかくのごとき性質のものであることを証している。従ってそのうちには神の力並びに善意を証しない何物もまったく見出されないのである。
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