ことなしに、かえってしばしば私の意志に反してさえ生産せられるから。ゆえにそれは私とは別の或る実体のうちに存すると考えるほかはない。そしてこの実体のうちには(既に上に注意したごとく)この能力によって生産せられた観念のうちに客観的に有る一切の実在性が形相的にか優越的にか内在しなくてはならないからして、この実体は物体、すなわちもちろんかかる観念が客観的に含む一切のものを形相的に含むところの物体的本性であるか、それとも神そのものであるか、それともかかる一切のものを優越的に含むところの、物体よりも高貴な或る被造物であるかである。しかるに、神は欺瞞者でないゆえに、神がかかる観念を、直接に自己自身によって私に伝えるのではないこと、またかかる観念の客観的実在性をば形相的にではなく単に優越的に含むところの或る被造物の媒介によって私に伝えるのでもないことは、まったく明白である。なぜなら、神はこれがそのような被造物の媒介によるのであると認知するいかなる能力をもまったく私に与えなかったし、かえって反対にかかる観念が物体的なものから発すると信じる大きな傾向性を私に与えたのであるから、もしかかる観念が物体的なもの
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