われたところのこれらすべての性質の観念――そしてただこれらの観念のみを私は本来かつ直接に感覚したのであるが――によって見れば、私が私の思惟とはまったく別の或るものを、すなわちこれらの観念のそこから出てきたところの物体を感覚すると考えたのは、理由のないことではなかった。というのは、私はこれらの観念が何ら私の同意なしに私にやってくることを経験した、従って、もし対象が感覚器官に現前していなかったならば、私はこれを感覚しようと欲しても感覚し得なかったし、また現前していたときには、感覚すまいと欲しても感覚せざるを得なかったからである。また、感覚によって知覚せられた観念は、自分であらかじめ知って意識的に省察することにおいて私が作り出した観念のどれよりも、あるいは私の記憶に刻印せられたものとして私が認めた観念のどれよりも、遥かに多くの生気があって明瞭であり、またそれ自身の仕方でいっそう判明でさえあったから、これらの観念が私自身から出てくるということはあり得ないように思われた。かようにして、これらの観念は、或る他のものから私にやってきたと考えるほかなかったのである。そして私はかかるものについて、まさに
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