がそれにおいて過つところの判断、すなわち意志の作用を喚び起すために神が私と協力するということもまた、私は歎いてはならない。なぜなら、この作用は、それが神の依存する限りにおいては、まったく真であり善であるし、また私がこれを喚び起し得るということは、もしかしたら喚び起し得なかったということよりも、私において或る意味でいっそう大きな完全性であるからである。しかるに、虚偽と罪過との形相的根拠がただそれにのみ存するところの欠存は、神の何らの協力をも必要としない、それは何ら実在的なものではなく、そしてもしその原因として神に関係させられるならば、それは欠存と言わるべきではなく、かえってただ否定と言わるべきであるから。なぜなら実に、その明晰かつ判明な知覚を神が私の悟性のうちに置かなかったところのものに対して、同意しもしくは同意しない自由をば神が私に与えたということは、神における何らの不完全性でもなく、かえって、私がかかる自由を善く使用せず、私の正確に理解しないところのものについて私が判断を下すということは、疑いもなく私における不完全性であるからである。しかしながら、たとい私が自由であること、そして有限
前へ
次へ
全171ページ中102ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング