生でも死でも我々は西洋人のように「歴史的な」事件としてでなくて、「日常的な」出来事として経験することを求めているのである。日常的なものと歴史的なものとが区別されるところに西洋人の「歴史的意識」があるに反して、東洋人においては日常的なものと歴史的なものとがひとつである。そこに東洋的ヒューマニズムの特色があるといえるであろう。
ソクラテスやキリストの死が悲劇的であるように、いわゆる歴史的意識には悲劇的精神が属している。ヘーゲルやシェリングなどが悲劇的精神を歴史の本質の理解の根本においたということには重要な意義がある。ところが東洋にはそのような悲劇的精神がない。ペシミズムといっても東洋のそれはこの点において西洋のそれと異なっており、したがってまたオプチミズムについても同様であると思う。私はかつて日本人には悲劇的精神がないからナチス流の政治は日本には適しないと書いたことがある。今日支那事変について「東洋の悲劇」などということを述べている日本主義者もあるが、日本主義者が悲劇的精神を説くのは日本主義の変質ではなかろうか。
昨日田中美知太郎君が来てテルトゥリアヌスの本を持っていないかといっていたので今日探してみたが、『教父文庫』の中の独訳があっただけだった。それを取り出して読んでいるうちに夕方になる。田辺耕一郎君が来て農民文学懇話会のことを話していると、渡部義通君来訪、ついで桝田啓三郎君が来る。田辺君ひとり先に帰ってから渡部君と碁を二番打ち、三人で夕食をする。八時頃から誕生日の自祝のつもりで桝田君と一緒に銀座へ出て少し酒を飲む。そこで和田日出吉氏に逢う。満洲へ来るようにと勧められる。十二時帰宅。すぐ床へ入って眠ったが、三時頃目が覚めてそれから眠れないので、ルナンの論文集を取り出して床の中で読んでいると明方になる。
[#地付き](『文芸』一九三九年二月号)
底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
1966(昭和41)年5月30日初版発行
1975(昭和50)年5月30日初版第14刷
初出:「文芸」
1939(昭和14)年2月号
入力:文子
校正:川山隆
2007年1月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボラン
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング