とであると思われている。あの人は学者にしては文章がうまい。などと平気で語られているのである。然るに若《も》し言葉と思想とが離すことのできぬ内面的関係をもっているとすれば、このような事実は、少くとも一面に於いては我が国の学者に自分自身の思想を求め、形作ろうとする衝動と熱意とが欠けているということの証左でなければならぬ。ひとは自分自身の思想を求め、形作るとき、自分自身の言葉を求め、形作る。
歴史がこのことを証明している。近代のドイツ哲学はギリシア哲学に比肩し得べき偉大な世界史的事実である。このようなドイツ哲学の発展の発端をなしたのはライプニッツであったが、彼はその当時すさまじい勢でこの国へ侵入して来たフランス語に対し、また伝統的なラテン語に対して、母国語の価値に関するいくつかの文章を書いてドイツ人に警告し、ドイツ語をラテン語に代えて学術語として使用することを主張した。彼はドイツ語で哲学上の論文を書いた最初の人に属している。そのほか、彼はローマ法をドイツ語に飜訳してしまうことの必要を力説した。またヘーゲルが自分の思想を出来るだけ純粋なドイツ語で表現することに努め、ラテン語から来た言葉をさえ
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