りも鋭き頭を欲する。また彼らは一人の人に接するとき、殊に偉大なる人に対するときにそうであるが、その人において何が長所であり何が自己の魂の高揚に貢献し得るかを正しく感じ出すことをおいて、まず何がその人にあって批難さるべき短所であるかに注意しようとする。彼らは博大な心をもって人を抱擁しようとはせず、猜疑の心をもって人を排斥しようとする。しかし根本的によくないことは、彼らがかくのごとく振舞うことが、彼ら自身絶えず不安と焦躁とを経験せずにはいられないのであるのに、それだけで非常に新しい従って彼らの評価に従えば非cm豪いことのように考えて思い上っているということである。一言にしていえば彼らの心は拗《す》ねている。
 けれど私たちが伸びやかな心を回復すべき時は来た。私たちの心では驚きと愛と夢とが純粋にそして健康に育たなければならない。番犬のような吠えつく心、刑事のような探る心、掏摸《すり》のような狡い心を棄ててしまって、嬰児《えいじ》のような無邪気で快活な心に還ることが私たちには絶対に必要である。そのとき私たちは偉大なるものに対する尊敬と憧憬とをもたずにはいられないであろう。そのとき私たちは他人に信頼する心を懐かずにはいられないだろう。そしてかような気持を本当に回復することができたときに私たちの生活は伸びやかであり、快活であり、また希望に輝くであろう。私は近頃特に痛切にそう感ぜずにはいられない。社会の人々がもっと正直で無邪気になっておのおの美しい夢に酔うことができたならば、私たちの社会はどれほど改善されるであろうかと。私には夢のない生活ほどつまらなく感ぜられるものはない。私は殊に多くギリシア人について好んで語った。私は何故に彼らに懐しさと親しみとを感ずるか。けだし「ギリシア人はあらゆる民族の中で生の夢を最も美しく夢みた」からである。無智や無頓着や屈従や諦《あきら》めや投遣《なげやり》から現実をそのままに受容れることをやめて、少しでも自分自身や社会をよくしようという希望と努力とがすべての人に生れてくるときに、初めて私たちは本当に人類の愛と平和とを贏《かち》え始めるのである。
 私たちは地上に執着してばかりいないで天上を仰ぐかまたは地下を見透すかをしなければならない。美しい青空には永遠なるものが輝いてそれへの憧れは私たちを夢みさせずにはいないだろう。暗い闇の中にも私たちは永劫の光あ
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