ていたのだった。
当然来るべきはずの第三の時期はきわめて徐々としてではあるが確実にやって来た。けれどそれは、第二の段階に直接に連続しはしないで三ヵ年間に亘った永い切断の後にやって来た。高等学校へはいったとき、私はいよいよこれから正式に哲学の学徒として旅立つのだという嬉しさから、これまで親しんで来たものに強《し》いて絶縁しようとした。ニイチエやショーペンハウエルやは退けられて心理学や論理学の書物が傍に積まれた。文学や芸術の本は哲学史や哲学概論の書物によって置換えられた。その時分私の興味の中心従って読書の中心を占めていたのは心理学であって、あるときなどはまじめに心理学者になろうかなどと考えたことさえあった。心理学に対する私の興味はそれから後いまに至るまで続いて来ているのであって、高等学校を卒業する間際まで私が心理学を専攻するものだと思っていた人さえあったくらいである。
けれども曲げられたものはいつかは反撥して来るであろう。無理に絶縁されていた文学に対する私の愛は機会を得て猛然として甦《よみがえ》って来た。そしてその機会を作ったものは実に哲学における私自身の能力についての懐疑であった。私は疑った、「おまえの能力ははたして哲学に匹敵し得るか。おまえの粗雑な頭脳は? おまえの綿密でない思索力は? それよりもおまえの中に燃えていておまえが押え切れない情熱は?」実際私の情熱は私が冷静を装おうとすればするほど裏切る力を増してゆくように感ぜられて、私を限りなく苦しいものにした。そしてその頃私は哲学者の最大の条件は冷静ということにあると考えていたようであった。哲学者となろうとする私が自分の中に燃え上る情熱を偽《いつわ》ることができない強さをもって感じたときの寂しさは、ちょうど若い尼僧がこれまで完全に征服してしまったと思っていた情熱を日も夜も感ぜずにはいられなくなったときの寂しさに似ていたであろう。そして私は論理的思索力についても全く自信を失っていた。
かようにして哲学の方面において自己の力を少しも信頼することができないようになった私は、再び文学の方へ懐しげに帰ってゆこうとした。私は文芸批評家になろうかとも、あるいは創作家になろうかとまでも思った。しかし哲学に対する顧慮は、私の文学に対する愛をふしぎに臆病にさせた。哲学書から離れて臆病になっていた私は、文学書に触れたりペンをとったり
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