三百枚に至るの日ペンを擱《お》こうと思った。しかし中途にして私は再び初めの正しき動機に立返ることが出来た。組織や体系やは現在の私の問題の中にあってはならない。私自身の心の改造が何よりも肝要なことである。かくて私は私がそれについて書いてみようと思った、友情、恋、愛、教育、社会、文化の諸概念の考察を思い止ることにした。これらの諸概念の中のあるものたとえば友情、恋、愛等については私はこれまでにたびたび反省してみる機会をもつことができたのであって、現在の私はそれらの概念をもう一度吟味してみることに迫られていないと思う。また他のものたとえば教育、社会、文化等については、それらが私の今の心の状態に直接の関係をもっていないばかりでなく、私のそれらに関する知識や経験の貧しさは第一に私がそれらについて語ることの僣越を咎《とが》める。私は私が近頃それの悪を私の衷に特に感ぜざるを得なかった虚栄心、利己心、傲慢心の三者を排斥して素直な心をもって置換えることにこの一篇の中心目的を見出すのである。私の体系を求むる心が本当に私自身に迫るとき、もしくは私の生活がそれをさせずにはおかないようになったとき、私はいま私の考察から脱した、これまで幾度となく考えたあるいは未だかつて考えたことのない諸概念について思索を試みるであろう。
――千九百十九年七月十七日  東京の西郊中野にて脱稿[#地より2字上げ]
(『三木清著作集』第一巻所収 一九四六年刊 岩波書店)[#地付き]



底本:「語られざる哲学」講談社学術文庫、講談社
   1977(昭和52)年6月10日第1刷発行
   1978(昭和53)年2月10日第2刷発行
※混在している「憂欝」と「憂鬱」、「無頓着」「執着」と「無頓著」「執著」は底本通りとし、統一しませんでした。
入力:大野晋
校正:小林繁雄
2000年10月2日公開
2001年7月27日修正
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