゙によつてテュケーと呼ばれた。このものは本来的な運命ではなく、寧ろ非本来的な運命であり、本来的な運命はデモーニッシュなものである。デモーニッシュなものも或る意味では偶然的なものであるけれども、然しそれはテュケー即ち外的な偶然でない。外的世界は固《もと》より我々にとつて単なる偶然ではなく、却て必然的なもの、強制的なものを含んでゐる。かくの如き外的な必然もしくは強制をゲーテはアナンケーといふ語をもつて現はした。デモーニッシュなものも或る意味では必然的なものであるけれども、それはアナンケー即ち外的必然ではない。アナンケーも固より運命のひとつの形態であるが、然しそれは非本来的な運命の形態であつて、本来的な運命即ちデモーニッシュなものの形態ではないのである。
 かくて我々はデモーニッシュなものの概念を現実的な歴史の概念の欠くべからざる要素として獲得し得るとしても、それはまさにかかるものとして上に述べたが如きゲーテの根本思想とは明かに一致し得ないものを含むであらう。従つてそれはゲーテにとつて当然哲学的に深められ、彼の根本思想と調和され、統一さるべきものでなければならなかつた。そして我々は彼の詩[#
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