すところなく述べた。歴史的伝来物から我々が事物の真実の姿を受取り得るものと彼は信じない。かくの如き懐疑は固《もと》より理由のないことではなからう。歴史は伝来物即ち史料といはれるものの上に立たねばならぬ。然るに殆《ほとん》ど凡《すべ》ての史料は不純にされてゐる、それはつねに党派的で、つねに作為的で、つねに或は熱中により、或は盲目な憎みもしくは愛によつて、だから私欲によつて無意識的に歪《ゆが》められてゐる。そればかりでなく、それは故意の虚言や良心なき欺瞞によつて、曲飾や中傷のために意識的に捏造されてゐる。よしんばさうでないにせよ、歴史家はつねにあまりに遅くやつて来る。彼等が始めるとき、判断は既に作られ、既に出来上つてをり、彼等は知らず識らずこの判断によつて先入見を抱かさせられ、それを反駁しようと試みる場合ですら、彼等はなほそれの束縛から離れ難い。また、ひとは我々に出来事の現実的な記録を供しないであらう。記録の多くは生々した記憶の既に消え失せた後に初めて作られたものである。しかもこれらの記録は、必ずしも、つねに主要事を伝へるものではないのである。歴史の基礎をなす史料が純粋でなく、完全でもない
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