」このやうにしてかの Bildung の思想がゲーテの世界観の中心に立つてゐる。それは一切のものと接触し交渉することによつて自己を教養し豊富になし、その際自己は拡散し解消されることなく、却《かえっ》て自己の本質を発展させ発揮するといふ過程である。それによつて人間はテュプス的な人間、いはゆる全人となり得る。このやうなビルドゥングの過程は単に人間の教養に限られず、寧ろゲーテはそれを全自然における根本過程と見做した。
発展はゲーテによれば分極性 〔Polarita:t〕 の関係において行はれる。「自然の忠実な観察者は、他の点で如何に異る考へ方をしようとも、次の点では互に一致するであらう。即ち現象する一切、我々に現象として出会ふ一切のものが、或は根源的に二分してゐてそれが合体し得る場合か、或は根源的に統一してゐてそれが二分し得る場合か、のいづれかなることを暗示し、かかる仕方で自己を顕示してゐる。一にされたものを二分し、二分されたものを一にすること、それが自然の生命である。それは我々が棲息する世界の永久の心臓収縮と伸張、永久の集成と分解、呼気と吸気である。」同じやうにゲーテは人間的自然のうちに分極性、諸衝動の間における反対を見、――特に『ファウスト』における「二つの魂」の思想は有名である――それからして彼は人間的発展の諸段階、社会の諸形態を展開した。相反する極に分化したものはおのづから第三のものに近づく傾向を具《そな》へてゐる。これを彼は高昇 Steigerung と呼ぶ。発展とは分極化を通じての高昇を意味する。高昇は凡ての存在の根本的衝動である。
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Wohin? Ach, wohin?
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Hinauf! Hinauf strebt's
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〔Aufwa:rts!〕
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ゲーテはガニメードの伝説のうちに人間の上へ上へと向はうとする衝動を見た。然るにこの衝動は既に自然のうちに「純なる太陽に向ふ」、「色どられたる地上に向ふ」衝動として含まれる。分極性と高昇とは自然の二つの大きな旋条である。「前者は物質を物質的に考へた場合それに属し、後者はそれを精神的に考へる限りそれに属する。前者は不断の牽引と反発であり、後者はつねに努力する登攀である。」自然の蔵する絶えず高昇してやむことなき衝動はゲーテには精神性への限りなき衝動を意味した。
発展は内なるものの漸次的な展開である。それは革命的でなく進化的である。「自然は飛躍をなさぬ。」といふのが彼のモットーであつた。固よりゲーテを単なる保守主義者と見做すことは当らないであらう。ひとが彼を「現存物の味方」と呼んだとき、彼は抗議して云つた。「然しそれは私を不愉快にする甚《はなは》だ曖昧な名称だ。現存するすべてのものがすばらしく善く且つ正しいならば、私はそれに対して何等反対せぬであらう。然しながら多くの善きものと並んで同時に多くの悪しきもの、正しからぬもの、不完全なものが現存するのだから、現存物の味方といふことは、旧《ふる》びたもの、悪しきものの味方にほかならぬことがしばしばである。然るに時代は永久の進展のうちにある。そして人間的事物は五十年毎に姿を変ずる。かくて一八〇〇年には完全であつた制度は、既に一八五〇年には恐らく不具物であるだらう。」彼は社会を発展において眺める。けれども彼はそこに漸次的な、連続的な、自然的な発展を見るのであつて、革命は暴力的なもの、破壊的なもの、不自然なものを含むとしてそれを却《しりぞ》け、また彼はかやうな飛躍的な発展が可能であるとは信じない。或る時彼は語つた、「輿論《よろん》においてひとが誤解され易いのには実に驚く。私は嘗《かつ》て民衆に対してどのやうな罪を犯したおぼえもない。然るに今ではすつかり民衆の味方でないと云はれてゐる。むろん私は掠奪や殺人や放火を企てそして公共の安寧のいつはれる楯にかくれて最も卑しい利己的な目的をねらつてゐる革命の輩の味方ではない。私はそのやうな人々の味方でもなければ、ルドウィヒ十五世の味方でもない。私は一切の暴力的革命を嫌ふ、といふのはそれによつて多くの善事が獲得されると同様にまた破壊もされるからだ。私は革命を実行する人も、革命に動機を与へる人も共に嫌ひだ。然しそれだからとて私は民衆の味方でないのであらうか。正しい感情をもつた人は誰でもこれとは違つた考へ方をするであらうか。」「我々に未来を期待させるやうな改良はどんなものでも私が非常に喜ぶといふことをあなたは知つてゐられる。然し既に云つたやうに、一切の暴力的なこと、飛躍的なことは私の性質に合はない、それは不自然だからである。」彼は却て「自己自身のうちに救済手段を一緒に含んでもつてゐる自然的な発展行程」に信頼し、そしてそ
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