めて立止まった。仁十郎も、警戒した。現れたのは猟師で、鉄砲を引きずるように持ち、小脇に、重そうな獲物を抱えていた。猟師が二人を見て、ちらっと上げた眼は、赤くて、悲しそうだった。そして、小脇の獣には首が無かった。疵口には、血が赤黒く凝固し、毛も血で固まっていた。猟師は、一寸立止まって、二人に道を譲って、御叩頭《おじぎ》をした。玄白斎は、その首のない獣と、猟師の眼とに、不審を感じて
「それは?」
と、聞いた。猟師は、伏目で、悲しそうに獣を眺めてから
「わしの犬でがすよ」
「犬が――何んとして、首が無いのか?」
猟師は、草叢《くさむら》へ鉄砲を下ろして、その側《かたわら》へ首の切取られた犬を置いた。犬は、脚を縮めて、ミイラの如くかたくなってころがった。疵は頸にだけでなく、胸まで切裂かれてあった。
「どこの奴だか、ひどいことをするでねえか、御侍様、昨夜方《ゆうべがた》、そこの岩んとこで、焚火する奴があっての、こいつが見つけて吠えて行ったまま戻って来ねえで――」
猟師は、うつむいて涙声になった。
「長い間、忠義にしてくれた犬だもんだから、庭へでも埋めてやりてえと、こうして持って戻りますところだよ」
玄白斎は、じっと、犬を眺めていたが
「よく、葬ってやるがよい」
玄白斎は、仁十郎に目配せして、また、草叢をたたきながら歩き出した。
「気をつけて行かっし――天狗様かも知れねえ」
猟師は、草の中に手をついて、二人に、御叩頭をした。
細径は、急ではないが、登りになった。玄白斎は、うつむいて、杖を力に――だが、目だけは、左右の草叢に、そそがれていた。小一町登ると、左手に蒼空が、果てし無く拡がって、杉の老幹が矗々《すくすく》と聳えていた。そこは狭いが、平地があって、谷間へ突出した岩が、うずくまっていた。
大きく呼吸《いき》をして、玄白斎は、腰を延すと、杉の間から、藍碧に開展している鹿児島湾へ、微笑して
「よい景色だ」
と、岩へ近づいた。そして、海を見てから、岩へ眼を落すと、すぐ、微笑を消して、岩と、岩の周囲を眺め廻した。
「焚火を、しよりましたのう」
仁十郎が、こういったのに答えないで、岩の下に落ちている焚木の片《きれ》を拾う。
「和田――乳木であろう」
と、差出した。和田は手にとって、すぐ
「桑でございますな」
乳木とは、折って乳液の出る、桑とか、柏とかを兵道家
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