生活へどんどん直接に影響を及ぼして来るとき、果して私たちの――人類の生活は一体どんな風に改造され、変革されて来るのであろうか。これらを、適当な文学的形式で一般読者大衆に報告し、説明し、暗示し、指摘することは、文学者として決して無意味な仕事ではないと信じる。無意味どころか、頗る有意義な、文学者の一任務といわねばなるまい。こうした意味で、「科学小説」はつとに私の提唱するところなのである。
 少くとも私一個としての考えでは、今日のプロレタリア文学者たちが、彼らプロレタリアートの、全民衆の悲惨極る生活を描くと同時に、科学の発達が将来に於て、如何に彼らを救うか、彼らの生活を明るいものにするかを、それを描くことも必要ではないだろうかと敢て考えるのである。
 そこで、私が「科学小説」として要求する所の物は現在行われている「科学小説」の三種類のうち何れに属する物であるか。幻奇小説めいた物、怪奇を狙う作品、即ち第一類に属する、多分にロマンチックな作品でもなく又、人類社会に於ける科学的進歩に対して可成りな疑惑的、否定的な傾向の考え方をもち野蛮と原始を魅惑的に描く種類の、第二に属する物でもなく、寧ろ科学の社会生活への寄与を正当に表現する「科学小説」を要求するのである。
 勿論、娯楽的意味はある程度まで備えていなくてはならないが、科学による未来の人類社会生活の明るさ、といったものを描出するところの「科学小説」――換言するなら、第三の種類に属するもの、否、より以上のレベルに達した「科学小説」を主張するのである。もっと積極的にいうなら、将来の「科学小説」は、科学的進歩に対して、未来の人類の文化に対してもっと肯定的でなくてはならぬであろうとさえ考えられる。「科学小説」として、この章で私が特に強調し、主眼とする点は、正しく以上のような点なのである。そして、そうした意味の「科学小説」こそが純粋な「科学小説」であり、そして亦、真に未来の綜合的な一大文学への正しき一過程としての正統的な「科学小説」であると考える。
 参考書に就いて。我国には、先にも述べたように「科学小説」というものが皆無なのだから参考書として挙げるべきものがない。で、次に、先の三つの分類に従って、主なる外国の作品を挙げて置こう。未だ我国に翻訳されてないものも多いので、それらの訳名は、仮に私が付けたものであることを附記して置く。

 第一類に属するもの。
 コナン・ドイル。A. C. Doyle――
[#ここから3字下げ]
The Lost World.(失われた世界)
The Poison Belt.(毒の帯)
Captain of the "Pole−Star."(北極星号船長)
The Land of Mist.(霧の国)
The Doings of Raffles Haw.(ラッフル・ホウ行状記)
[#ここで字下げ終わり]
 ジュール・ベルヌ。Jules Verne――
[#ここから3字下げ]
From Earth to the Moon.(月世界旅行)
Twenty Thousand Leagues under the Sea.(海底六万哩[#「六万哩」はママ])
Journey to the Center of Earth.(地中旅行)
The Mysterious Island.(不思議国)
[#ここで字下げ終わり]

 第二類に属すべきもの。[#底本では天付き]
 ジャック・ロンドン。Jack London――
[#ここから3字下げ]
Before Adam.(アダム以前)
The Call of the Wild.(野性の叫び)
Iron Heel.(鉄の踵)
"Star−Rover."(「スター・ロバー」)
[#ここで字下げ終わり]
 バロウズ。E. R. Burroughs――
[#ここから3字下げ]
Tarzan of the Apes.(類人猿ターザン)
The Return of Tarzan.(ターザンの帰還)
The Beast of Tarzan.(猛獣ターザン)
The Son of Tarzan.(ターザン第二世)
[#ここで字下げ終わり]
 その他、数種の「ターザン物語」あり。
 サミュエル・バトラー。Samuel Butler――
[#ここから3字下げ]
Erewhon.(エレホーン)
[#ここから10字下げ]
nowhere を逆に綴ったのであって、彼の皮肉的理想郷を提示しているのである)[#「)」はママ]
[#ここから3字下げ]
Erewhon Revisited.(エレホーン再訪問記)
[#ここで字下げ終わり]

 最後の種類に属するもの。
 ウェルズ。Herbert George Wells――
[#ここから3字下げ]
Time Machine.(時の器械)
The Food of God.(神々の糧)
In the Days of the Comet.(彗星時代)
First Man in the Moon.(月へ行った最初の人)
The Island of Dr. Morean.(モリアン博士の島)
War in the World.(世界戦争)
War in the Air.(空中戦)
The Wonderful Visit(不思議な訪問)
The Invisible Man.(見えざる人)
The Sleeper Awakes.(眠れるものの目覚むる時)
Tales of Space and Time.(空間と時間の話)
[#ここで字下げ終わり]
 エドワアド・ベラミイ。Edward Bellamy――
[#ここから3字下げ]
Looking Backward.(太古を顧て)
[#ここで字下げ終わり]

  第七章 探偵小説

「探偵小説」の歴史については、総論のところで充分に触れておいたし、又、その存在理由――何うして発展して来、そして現在の流行をみたか。又、将来如何なる方向へ進んでいくであろうか。換言するなら、「探偵小説」は過去から未来へつづく文学史の如何なる役目をする一鎖りであるだろうか、――は、前章で詳細に講じたのである。
 そこで、それらに関しては、再び貴重な頁を浪費すまい。ただちに、「探偵小説」はその特徴としてどんなものを含んでいなくてはならないか、に進もう。
 第一に、その物語が自然でなくてはならない。「探偵小説」に於て自然であるということは、その不自然さ、誇張が極めて現実性に富んでいなくてはならない。即ち自然に、もっともらしく読者に感じられねばならない、ということである。そのことは、勿論、科学的でなくてはならない、という意味も含んでいる訳である。即ち、「探偵小説」の第一特徴は、「現実性の豊富」ということである。犯罪の動機、探索の手懸りが、如何に些細な、又空想的なものであろうと、それが現実性をもって読者にせまらねばならない。
 第二に、サスペンスということが、その特徴であろう。どうなるだろうか、犯人は誰だろうか、といった期待と不安を次から次へと読者にもたすように仕組まれていなくてはならない。犯人を意外な処に発見さすのもいい――ドウゼの「スミルノ博士の日記」、すべての登場人物を犯人らしく見せて五里霧中に彷徨《さまよ》わせるのもいい――ヴァン・ダインの「グリース家の惨劇」、次から次へと糸をたぐるように無限に思われるほどの人物を点出して、なお彼方に犯人をかくすのもいい――ルブランの「虎の牙」、兎に角、要は読者にサスペンスをもたしていくことが必要である。
 その為には、トリックが必要となって来る。伏線に伏線が重なりもつれ合う、そして読者が五里霧中になる。一つがもつれると、他が少しほぐれ、そして又その上に伏線が重なる、といった具合に、常にある部分の期待と期待につらなる不安――サスペンスを持たせるためには、トリックが重要な役割をする。ルブランの探偵小説など御覧になるとすぐわかる。いうまでもなく、そのトリックは充分現実性を備えていなくてはならない。だから、第三の特徴として「暴露されないトリック」が挙げられるのである。
 以上のようなものが「探偵小説」の特徴として数えられる。「探偵小説」は、大衆文芸の一分野としても考えられるのであるが、それ自身又独立して「探偵小説」としての分野を展開している。即ち、次の三つの種類にわけて考えていいと思う。
 本格的「探偵小説」、文学的或は芸術的「探偵小説」及び大衆文芸的「探偵小説」――
 本格的「探偵小説」の中に含まれるのは、古い所では、コナン・ドイルの探偵作品、新らしい所では、現在人気の頂点にあるといわれている、かのヴァン・ダイン、又はウォーレスのごとき人の作品が挙げられるであろう。
 文学的なものとしては、チェスタートンの「ブラウン物語」のごときが挙げられるべきであり、大衆文芸的「探偵小説」としては、ルブランの作品が代表的なものであろうと思われるのである。
 だが、概して「探偵小説」の進み行くべき道をいうなら幾度も述べたごとく、将来は益々科学的になっていくであろう。科学の進歩のみが、新らしい現実性を将来の世界に生みだして行くであろうし、従って、トリックにも愈々科学が応用されるであろうことは当然である。科学の絶えざる進歩のみが、「探偵小説」を常に新らしいものたらしめ得るのである。例えば、殺人光線、小周波電波の利用、テレビジョン、テレボックスの如き新らしい科学的発明が、将来の「探偵小説」に使用されるであろう。そして、「探偵小説」はそれによってのみ、愈々多幸なる未来を有しているといっていいと思う。
 最後に、「探偵小説」に於ける日本と諸外国との相違について一言しよう。
 即ち、日本の作家は「探偵小説」を書くに当って種々の困難がともなうのである。
 それは、第一に、日本の家屋の構造が外国と異り、開放的であることである。このことは犯罪遂行その他に非常に困難なのである。
 第二に、日本の警察制度が世界無比に完全していることである。だから、あまり出鱈目が書けない。真実味がなくなって了うのである。例えば、アメリカのシカゴとかニューヨークなどの大都市の暗黒街は殆んど官憲の手がつけられない程である。諸君は、外国映画のクルップ・プレイで優れた映画が多いのを知っているだろう。官憲と無頼漢が機関銃で対抗しあったりすることは、我国では想像だも出来ないことである。こんなのを、直ちに日本に移植したりして、映画を造った処でそれが馬鹿馬鹿しいものになるであろうのと同様である。
 第三に、外国の「探偵小説」に私立探偵が活躍するのは警察制度が不完全であることに基いている。だから外国であれば、実際にあり得る現象であるが、日本では私立探偵などは社会的に認められるには到っていない。警察制度が完備していて、その余地がないからである。例えば、外国では、警部も、探偵も、刑事も、デテクチーブという言葉で代表される。その点、我国とは甚だ事情が違っているといわねばならない。
 こう云った種々の条件で、我国では「探偵小説」が非常に書きにくい状態におかれているのである。我国に、本格的ないい「探偵小説」が少いのも、以上のような理由のためであろう。
 序《ついで》に、この章で、今日流行している「実話物」に触れて置こう。
 一体、「実話」は、アンチ文学要求の一つなのであるが、これも亦、外国での流行から影響された結果なのである。我々は、ここでも外国と日本との差違を考慮に入れなければならない。
「実話」は外国に流行しはじめているのであるが、特にアメリカに於て最も盛んである。それは、如何なる理由によるかというと、アメリカの生活――社会生活、従って個人生活は実に、小説以上のものなのである。その多種多様であり、凡ゆる点でセンセショナルなことは驚くべきものがある。
 一例をとるならば、アプトン・シンクレアの小説を読んだなら、アメリカ大都市市政の腐敗が東京市政の腐敗などとは比較にならぬほど驚くべきものであり、又、タマニホールなどの策動の如何に深刻で計画的であるかは、我、田中
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