大衆文芸作法
直木三十五

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)顧《かえりみ》る

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(例)正木|不如丘《ふじょきゅう》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]
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  第一章 大衆文芸の定義

 一体、定義というものを、物の進行中に、未だ完成されていない未発達の状態にある時は与える事はむずかしい。現在進行しつつある、発達の過程にはあるが未だ充分発達したとはいえない、大衆文芸に対して、現在のままの姿へ、定義というものを与えたなら――それは、与え得ても、直ちに不満足なものになって了うであろうと思われる。
 併し、もしその将来を想像して、かく成るべき物が、大衆文芸であるというのなら、現在と共に、将来を包含して一つの定義を下し得ぬ事もない。それを下すに就いては、現在と、将来の外に、大衆文芸の歩んできた過去の道をも顧《かえりみ》る必要がある。私は、その点からこの講義を始めて行きたい。
 現在、大衆文芸の名によって呼ばれている如き作品、及びその作家は、震災後に著しく発達し、大衆文芸なる名称も、従って亦その時代以後に使用されるに至ったものである。震災以前とて、その傾向が無いではなかったが、従来の型の如き型を破った髷物《まげもの》小説は、僅かに、指折ってみて、中里介山の「大菩薩峠」(都新聞)、国枝史郎の「蔦葛木曾桟《つたかずらきそのかけはし》」(講談雑誌)、白井喬二の「神変呉越草紙」(人情倶楽部)、大佛次郎の「鞍馬天狗」(ポケット)に過ぎなかったものである。
 然も、現在に於て、これらの作家は、大衆作家として第一流の名声を獲得しているが、その当時に於ては、殆《ほと》んど人の知る者無く、読書階級に於ては勿論、一般の人々にも迎えられていなかったものであった。
 震災後に於て、プラトン社より「苦楽」が出て、講談物を一蹴して、新らしき興味中心文芸を掲載すると同時に、この新らしき機運は大いに動いて来たのであった。そうして新聞社関係の人々は、こういう作品に、新講談という名を与え、文藝春秋、新小説の人々は、読物文芸という名によって呼んでいたのである。
 その内に、白井喬二が、大衆文芸という名称を口にし、同氏が擡頭《たいとう》すると同時に、この名称が一般化して、今日の如く通用する事になった。字義の正しさより云えば、大衆とは、僧侶を指した言葉であるが、震災前に、加藤一夫らによって、しばしば民衆芸術、即ち、現在のプロレタリア芸術論の前身が、叫ばれていた事があり、それと混同を避ける為に、熟語である「民衆」よりも、新しく、「大衆」という文字を使用したのであって、民衆も大衆も、多衆の意味であることに、何等相違はない訳である。
 そこで、嘗《かつ》て震災前に加藤一夫等によって始めて提唱された民衆芸術とは、如何に違っているのか、ということを明らかにしておく必要があると思う。その当時提唱された民衆芸術というのは、かの、ロマン・ローランが唱えた「民衆の芸術」を我が国へ輪入したのであった。彼等の主張は、民衆のための芸術を作らなくてはならない、ということにあった。それらの芸術は、民衆そのものの中から生産されるか、それとも民衆の中から生れなくとも、それが民衆のために書かれた芸術でなくてはならない、というのであった。即ち、彼等によって嘗て叫ばれ、そしてその後発達して今日のプロレタリア芸術論となった、民衆芸術というのは、目的意識的のものであった。処が現在我々が問題としている大衆文芸というのは、何ら目的意識的なものではなく、通俗的といった程の意味のものなのである。その究局に於ては同じであるかも知れない。しかし、その出発点を異にしている。そういうような定義の解釈の相違に過ぎないのである。即ち、現在のままに於て定義を下すなら、大衆文芸とは、震災後に於て現れたる興味中心の髷物、時代物小説である、という事ができる。
 しかし、現在では大衆文芸はややその範囲を通り越して、大衆の字義のままに探偵小説をもその中に含め、進んでは、文壇人以外の、芸術小説以外の、新旧一切の作をも、含めようとするまでになっている。
 ただ未だに、通俗小説の名は残されているが、それは通俗的現代小説を指した物で、大衆文芸も同じ新聞に載り乍《なが》ら、新らしき時代の物のみを、特に、通俗小説、又は、新聞小説と称しているが、この区別は甚だ曖昧なのである。
 例えば、中村武羅夫、加藤武雄は、通俗小説家であるが、国枝史郎が現代物を書いても、彼は大衆作家であり、三上於菟吉が、現代物、時代物二つ乍ら書くと、通俗作家とも云われ、大衆作家にも視られ、又、正木|不如丘《ふじょきゅう》は、現代物しか書かぬが、大衆作家であり、総てが文壇人関係者の常識よりなされたる区別故、厳密な意味に於ての区別は不可能である。
 従って、私は、この講義に於て、他の小説作法があって、それが、芸術小説、文壇小説を説くとするなら、大衆文芸の内へはその他の一切、即ち、科学小説、目的小説、歴史小説、少年少女小説、探偵小説等、総てを含めて、大衆の文字のままに定義していいと信じなくてはならぬ。
 それで、それらの総てを包含した物として、大衆文芸の定義を下すなら、
「大衆文芸とは、表現を平易にし、興味を中心として、それのみにても価値あるものとし、又は、それに包含せしむるに解説的なる、人生、人間生活上の問題をもってする物」と云いたいのである。

  第二章 大衆文芸の意義

 私は、次に、以上の定義に従って、大衆文芸の意義を説きたいと思う。それは、しばしば芸術小説との価値比較をされるが故にも必要であり、大衆文芸そのものの使命に就いても、知って置かねばならぬ事だからである。
 私は、問題を少し遠くの方へもって行く。人間は嘗て、太陽が吾々の周囲を出没していると信じ、人類を宇宙の中心と考えていた時代があった。
 又、神の子、仏の末裔《まつえい》であると信じ、宗教への情熱が、人間の中心となり、宗教家は人間の最高の者として、尊敬され、十字軍がしばしば起り、帝《みかど》は、自らを三宝《さんぽう》の奴《やっこ》と称された時代があった。
 然し、やがて宗教への情熱は醒め果て、人間が理智的に目覚めた時、人間の精神生活を指揮するものは、哲学であると信じられ始めた。洋の東西に於て、多くの哲学者達は、人間よ、かく行うべし、かく云うべし、かく考えるべしと、多くの哲理を示してくれた。だが、それによっても人間は救われなかった。
 その次に現れて、人間の感情と、理性とへ訴えたものは文学である。文学は、宗教の如く、非理性的でなく、哲学の如く理智のみで無く、感情を揺り動かし、理性を柔かく撫で、精神生活のリーダーたらんとしたのである。だが、トルストイ伯の、ドストエフスキイの、深刻なる文芸作品によって、然らば人間は? 救われたであろうか?
 目に文字なく、頭に思考する事なく、一日畑に、工場に汗して働く者達が卑く、深遠なる哲理を彼の書斎で考えている少数の選ばれし者のみが尊い、ということは、人間の考え方の一つの重大な誤りであった。精神生活のみが人間の唯一の生活ではない。精神生活のみが尊く、物質的生活が卑しいという事は、明らかに誤謬《ごびゅう》である。だが、まだ人間は、他の動物にない思索力を有するが故に、しばしばそれを過度に尊敬して来たし、現在でも一部分の者はしているのである。
 そして、この誤謬を直さんとする運動の一つが、社会運動である。人間全体の生活をよくする事は、文学に於てよりも、直接の社会運動による事が遥かに有力であると、発見したからである。文学は寧ろ社会運動に利用されようとするに到った。
 この思索の過重的尊重という事が、芸術小説の癌を為《な》している。それが如何に、低級、浅薄であろうとも、それのみを尊重して、興味ある事を除くという事が、精神生活に於ては尊いという風に考えられていた。
 一体、思索の尊さは、読書人がそれによって、感激する場合のみである。何の感激も与え無い、陳腐にして、常套的なる物が、余りに多く描かれ、過去の文学は既に感激を失って了った。現在、果してトルストイ伯の、ドストエフスキイの作品が人々に昔程の感激を読者に与えるであろうか。
 精神生活のみを尊重し、物質生活を卑しいと見ることの謬見であるのを、私は既に述べた。何故なら、物質生活こそが精神生活の根底であるから、私は、物質生活と精神生活と何《どち》らが尊いかと云うのではない。物質生活の安定あって、始めて精神生活が充分に為されるのである。その物質生活は、現在どうであるか。資本主義社会の矛盾によって大衆の物質生活は益々、極端に貧困化しつつある。現在の社会は、見よ、加速度的に混乱して行くではないか。それは一方、科学の異常な進歩と、交通機関の発達によって、生活も社会も、思想も刻々に変革されて行き、往古の如く同一状態に於て、半世紀、一世紀を送る悠長さを許さなくなって来たのである。
 社会はどうなるだろうか? 思想はどう結末するだろうか? 誰も今日、それに対して明快に答え得るものは無いのであろうか? 己の立っている土台が動いているのである。婦人は、封建的貞操を棄てんとしつつ、而《しか》も、それに代る道徳を見出し得ない。男子は、古き衣を脱いだが、新らしき着物を知らない。社会は、一革命を起さんとしつつも二つの勢力は対等に抵抗しあっているのである。
 今や、ヨーロッパ文明は沈消して、アメリカ資本主義のジャズ文明の洪水《こうずい》は、世界の人達を溺らそうとしている。人々は、或は、憤然として奥床しく、深淵なるものの犯されていくのを慨歎するであろう。しかも、慨歎しながらも彼等は共に、その世界に氾濫《はんらん》したアメリカ文化の濤《なみ》に捲込まれ、流されて行かざるを得ないのである。ラジオに、ジャズに、シネマが横行する。人々は、それに感染して、行く所を知らない。
 この加速度的な生活の目眩《めまぐ》ろしさは、人々が垂れこめて、深く思索にふける余裕を与えない。人々は我知らず、生活の苦しさから匍《は》い出んとして、瞬間的な享楽を求める。街にはシネマがある。赤い燈、青い燈、のカフエがある。街中の店という店ではラジオが呼んでいる。かくて、今や世界は未曾有《みぞう》の速力と混乱が到来した。この問題の一切は、やがて直接的な社会運動が解決してくれるであろう。
 だが、ここで、私は文芸に眼を転じよう。文学はこのあわただしさに耐え兼ね、面食《めんくら》った形である。それが、外の芸術と異なり、文芸は、時代を背景とし、時代意識を把握しなくてはならないものだけに、又、従来は、人間の永遠的感情を描かんとし、単に、人間の感情のみへ突入していただけに、外界の急激な変化より来る思想、感情の動揺に対して、手をつける事を知らぬ様である。言葉を換えて云うなら、文学史上、新らしく勃興して来た一つの文芸が、完成爛熟期に到達するためには、半世紀間或は一世紀間なりの文明の継続を必要としたのである。この社会の急激な変転に圧倒されて、遂にそれを一つの形式にまで作り上げる余裕が現在ではない。従って、従来の如き、人間の永遠性を深く凝視し、魂の底を握らんとする如き文学は、読者に迎えられないのみならず、又、描かんとする人にも、外界はあまりに騒がしくなりすぎているのである。アメリカがいい適例である。アメリカの資本主義は建国以来、実に急速に発展してきた。アメリカには現在、芸術と呼ばるべきものはない。
 十九世紀の末葉から二十世紀にかけて輩出した大文豪達、トルストイ、ドストエフスキイ、イプセン、等々の文芸が、既に現在の読者にとって刺戟《しげき》がなくなって了《しま》ったことは、再三述べた。人々は、最早、文芸を読むことによって生活をよくしようなぞという望みを失ったのである。民衆は、この七転八苦の物質的生活の苦悩から避
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