としての感情も、小説家としての立派な能力も持っているけれども、一八九五年に古代羅馬を描き出すには、それ等のものだけでは不充分である。歴史小説としての「神々の死」を不朽ならしめたものは、実に彼の歴史科学の、正確なる知識である。(上述、「神々の死」からの引用文は、何れも米川正夫訳、新潮社出版――大正十年――の邦訳によったのである)
素より、歴史小説は、芸術的な小説であって、断じて、教科書風な、無味乾燥の記述ではない。けれども史実を無視した歴史小説はどんなにか読者に馬鹿馬鹿しさを与えることだろう。極端な例を採れば、若しも近藤勇が忠実なる勤王の武士であって、蛤御門の戦に討死すると云った風の小説が書かれたとしたら、どうだろう。読者は必ずや失望するだろう。芝居の場合なら観客は沸く[#「沸く」に傍点]に相違ない。こんな簡単な、周知の事実の場合には直ぐに気がつくが、多くの似而非《えせ》歴史小説は、大なり小なり、此のたぐいであることは、容易にわかるものではない。稍もすれば、大衆文芸が軽蔑されるのは、こんな荒唐無稽が禍いするのではないか。
文学を志す者は、須《すべから》く従来の、伝統的な悪風を捨てて、
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