は知るであろう。
最後に、今一つ注意すべきことは、平易な文章というのは、自分の文章の特色を没却することを意味するのでは断じてない、ということである。矢田君に、文の独特の明快さがあるとすれば、吉川君にも亦彼自身の明快さがある。よき文章家には、必ず隠そうとして隠し切れないであろう特色が、自らその文章に浮び出るものである。要は明快であることだ。だが、これは一般論であって、その小説から文章だけを切り放して、内容と別個のものとして論じることは不可能なことである。以下、私は各論にはいるのであるが、そこで各種類の中に、内容と文章とを合せて詳論したいと思っているから、ここではこれ位に止めることにしよう。
第五章 時代小説
時代小説は、歴史小説と大衆小説に分類して考えられなければならないことは、先に一応説明を試みて置いた。
即ち、伝記物、或は髷物、所謂現在の大衆小説と呼ばれるものは、正確なる時代的考証を全く欠き、何等厳密なる史的事実に基礎を置いて書かれてはいない。だから、歴史的にも、風俗的にも無意義であり、従って無価値である。
処が、仮令《たとい》事件そのものは伝説上に置いても、考証学的
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