衆作家にも視られ、又、正木|不如丘《ふじょきゅう》は、現代物しか書かぬが、大衆作家であり、総てが文壇人関係者の常識よりなされたる区別故、厳密な意味に於ての区別は不可能である。
 従って、私は、この講義に於て、他の小説作法があって、それが、芸術小説、文壇小説を説くとするなら、大衆文芸の内へはその他の一切、即ち、科学小説、目的小説、歴史小説、少年少女小説、探偵小説等、総てを含めて、大衆の文字のままに定義していいと信じなくてはならぬ。
 それで、それらの総てを包含した物として、大衆文芸の定義を下すなら、
「大衆文芸とは、表現を平易にし、興味を中心として、それのみにても価値あるものとし、又は、それに包含せしむるに解説的なる、人生、人間生活上の問題をもってする物」と云いたいのである。

  第二章 大衆文芸の意義

 私は、次に、以上の定義に従って、大衆文芸の意義を説きたいと思う。それは、しばしば芸術小説との価値比較をされるが故にも必要であり、大衆文芸そのものの使命に就いても、知って置かねばならぬ事だからである。
 私は、問題を少し遠くの方へもって行く。人間は嘗て、太陽が吾々の周囲を出没している
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