来る訳ではある。だが、大衆作家が、大衆作家である所以《ゆえん》のものは、その作品があくまでも文壇的ではなく、大衆的、通俗的文芸作品でなければならない、と云うことは何等変りないのである。
我国の大衆文芸は、その範囲未だ極めて狭く、鶴嘴《つるはし》の触れてない未採掘の分野は、尚尊い金鉱を蔵してその儘、我々の足もとに広く、深く横たわっていることを知らなければならないのである。そして、それ等を開拓して行くことこそ大衆文芸作家の任務であり、大衆文芸を益々盛んならしめる所以であろうと思う。
で、私はこの章の最後に当って、大衆文芸の分類方法に関して、若干の意見を述べようと考える。そのことに依って、諸君に大衆文芸の分野でありながら、日本の大衆作家達が、全く手をつけていないような、然も広大な鉱脈を知らせることが出来るだろうからである。そして又、それ等こそは、大衆文芸を目指す諸君によって是非開拓されなければならない沃土《よくど》なのである。
で、もし、日本の過去の作品のみを以《もっ》て分類するなら、第一に「軍記物」源平盛衰記とか、難波戦記とか――現在の例をとると、日米戦争未来記とか、秩父宮勢津子妃の
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