芸という名称を口にし、同氏が擡頭《たいとう》すると同時に、この名称が一般化して、今日の如く通用する事になった。字義の正しさより云えば、大衆とは、僧侶を指した言葉であるが、震災前に、加藤一夫らによって、しばしば民衆芸術、即ち、現在のプロレタリア芸術論の前身が、叫ばれていた事があり、それと混同を避ける為に、熟語である「民衆」よりも、新しく、「大衆」という文字を使用したのであって、民衆も大衆も、多衆の意味であることに、何等相違はない訳である。
そこで、嘗《かつ》て震災前に加藤一夫等によって始めて提唱された民衆芸術とは、如何に違っているのか、ということを明らかにしておく必要があると思う。その当時提唱された民衆芸術というのは、かの、ロマン・ローランが唱えた「民衆の芸術」を我が国へ輪入したのであった。彼等の主張は、民衆のための芸術を作らなくてはならない、ということにあった。それらの芸術は、民衆そのものの中から生産されるか、それとも民衆の中から生れなくとも、それが民衆のために書かれた芸術でなくてはならない、というのであった。即ち、彼等によって嘗て叫ばれ、そしてその後発達して今日のプロレタリア芸術論
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