ような静けさが、流れの音をのせてのぼって来た。互いに付け入る隙をうかがう敏捷な生き物のように、切先は暗い宙にはいまわって、かすかにゆれている。ひたひたと、こまかい波のように双方からのぼって来るかと思うと、合って、凝と無気味な目を据えて睨み合って静止する。
 突然その一つがさっとあお白く閃いて、一文字にぐっとおどり入る。その時初めて、刃のかみ合う音が起って、燃えた鉄のにおいがやみに散った。どうとばかり地響き打って相沢が地にたおれた。あせって、岩瀬が斬り込んだ。すぐ目の前に、肉薄していた敵手の顔が、白いのどをのぞかせて反りかえったのが見えた。その刹那に、岩瀬は、空をきって、はずみで不覚に泳ぎながら、右の腕に火のような一撃を受けている。立直った時自分の手がもはや刀をなくしているのを知った。
[#ここで字下げ終わり]

 では、人口に膾炙《かいしゃ》している中里介山君の「大菩薩峠」の内から引例して見よう――。

[#ここから2字下げ]
 竜之助は例の一流、青眼音なしの構えです。その面は白く沈み切っているから、心の中の動静は更にわからず、呼吸の具合は常の通りで木刀の先が浮いて見えます。
 竜之助に此の構をとられると、文之丞は忌《いや》でも相青眼。これは肉づきのよい面にポッと紅を潮《さ》して澄み渡った眼に竜之助の白く光る眠を真向うに見合せて、これも甲源一刀流名うての人、相立って両人の間にさほどの相違が認められません。
  ……………………
 その中に少しずつ文之丞の呼吸が荒くなります。竜之助の色が蒼白さを増します。両の小鬢のあたりは汗がポトポトと落ちます。今こそ別けの合図をと思う矢先に、今まで静かであった文之丞の木刀の先が鶺鴒《せきれい》の尾のように動き出して来ました。業をするつもりであろうと、一心斎は咽喉まで出た分けの合図を控えて、竜之助の眼の色を見ると、この時怖るべき険しさに変って居ました。文之丞はと見ると、これも人を殺し兼ねまじき険しさに変って居るので、一心斎は急いで列席の逸見利恭の方を見返ります。
  ……………
 一心斎は気が気でない、彼が老巧な眼識を以て見れば、これは尋常の立合を通り越して、最早果し合の域に達して居ります、社殿の前の大杉が二つに裂けて両人の間に落つるか、行司役が身を以て分け入るかしなければ、この濛々と立ち騰《のぼ》った殺気というものを消せるわけのものではない、今や毫厘の猶予も為し難いと見たから
「分け!」
 これは一心斎の独断で、彼は此の勝負の危険を救うべく鉄扇を両刀の間に突き出したが、其れが遅かったか、彼が早かったか
「突き」
 文之丞から出た諸手突きは実に大胆にして猛烈を極めたものでした。五百余人の剣士が一斉にヒヤヒヤとした時、意外にも文之丞の身はクルクルと廻って投げられたように甲源一刀流の席に飛び込んで逸見利恭の前に突伏してしまいました。
 机竜之助は木刀を提げたまま広場の真中に突立って居ます。

 井上真改の一刀は鍔元から折れて彼方に飛び、水もたまらず島田の一刀を肩先に受けて凄まじき絶叫をあとに残して雪に斃れる。それと間髪を容れず後から廻った岡田弥市の拝み討。島田虎之助は加藤主税を斬ったる刀を其の儘身を沈めて斜横に後ろへ引いて颯《さっ》と払う理屈も議論もない、人間を腹部から上下に分けた胴切りです。
[#ここで字下げ終わり]

 尚、最後に、大衆文芸ではない、変った例を、文壇の鬼才、横光利一君の作品、「名月」から取ろう。「名月」はそれ全体が既に石川五右衛門の狂った剣そのもののような姿を心理を、描いた好短篇である。

[#ここから2字下げ]
 小兵衛の脇腹に師の鞘がぐッと当った。小兵衛は腹を圧えたまま、顔を顰《しか》めて立停った。が、漸く声だけは立てずに済ませると、小声で云った。
「先生、手ひどいことだけは、もうどうぞ」
「よしよし、だが、こちらに隙を造らそうとすると、そちらに隙が出来て来る。良いか」
「はい」
「俺はこれでも、まだお前の心はすっかり見えるわ。だが、小兵衛。覚悟は良いのう」
「何の覚悟でございます」
「覚悟は覚悟だ。俺は今に乱心するにちがいない。すればお前の命も危いぞ」
「先生」と云った小兵衛の声は慄《ふる》えて来た。
「お前は逃げようとしているな。逃げればお前の足は動かぬぞ」
「先生」
「ははア。またお前は俺を殺そうとして来たな」
「先生。そんなことは、もう仰言《おっしゃ》らずにいて下さい」
「よしよし。さあ来い」
 また二人は暫く黙って歩いていった。が、小兵衛は自分の心が手にとるように師の背中に映っているのだと思うと、自分の心の一上一下の進退が、まるで人の心のように思えて来た。
「先生」
「何だ」
「私はもう恐しくて歩けなくなりました」
「馬鹿な奴だ。お前は俺を殺せば良いのだ。ただ殺せ。
前へ 次へ
全34ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング