っている覚悟で書かなければならない。「愛欲小説」は時代のショウウィンドウを飾る常に新らしき、それ故にこそ最も美しい流行着でなくではならないのである。

  結論

 考えて見れば、この少い頁数の中に充分に「大衆文芸作法」を盛ることは不可能なことであった。例証さえも充分に挙げる余裕がなかったことを残念に思う。私たちは小走りに此処まで来た。併し、大体に於て、見透しはついた訳だ。不満な点は、後の機会にゆだねて、私は一まず筆を措《お》かねばならない。
 で、結論として、私は次のことを諸君に告げる。
 第一に、現代人類は凡ゆる意味で、恐ろしく重大な転換期――変革期に立っている。だが、彼岸には、今、偉大な文化の時代が、創意が開けようとしているし、又開かねばならぬ時である。それらは、私たちの任務であるとともにより若き、青春に富める読者諸君の重い任務であるのだ。
 第二に、かかる時に際して、文芸は亦、それらの一環として、新らしい大文学の時代をひかえて、陣痛に悩んでいる。大衆文芸は、この時、その文芸の任務の一つを負って生れ、そして成長しつつあるのだ。大衆文芸は、如何なる方向へ進まんとするか進むべきか、――曰く、より「科学」の方向へ。
 第三に、然も、顧るに我国の文壇は、あまりにも狭苦しく、片寄っており、そして姑息《こそく》に沈滞していた。ために、小説の種類も亦、非常に少く、淋しかった。大衆文芸はこの単調を破って茫大な読者層に迎えられつつある。
 そして最後に、この科学の加速度的進歩と、思想的混乱――アメリカニズムとボルセヴィズムの無批判な吸収――のさ中にあって、今、将来の文芸こそが夫《それ》らを正しく認識し、指導し、方向を示すべく運命づけられているのをひしひしと感ずるのである。
 要は、より多種類の、より優れた文芸作品が創造されんことを、私は切望して止まないのである。



底本:「直木三十五作品集」文藝春秋
   1989(平成元)年2月15日第1刷発行
※「グリース家の惨劇」は「グリーン家の惨劇」、「エレスブルグ」は「エレンブルグ」、「The Island of Dr. Morean.(モリアン博士の島)」は「The Island of Dr. Moreau.(モロー博士の島)」と思われますが、本文の訂正は行ないませんでした。
※「三上於菟吉」と「三上於莵吉」の混在は底本通りです。双方の表記が流布しているので、あらためませんでした。
入力:大野晋、鈴木厚司
校正:門田裕志
2003年11月6日作成
2009年9月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全34ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング