。こう云うとモリエールの彼の有名な戯曲とか、セルバンテスのドン・キホーテなどは、「ユーモア文学」でないという説が出て来るのであるが、私は勿論、そういうものが「ユーモア文学」であるとは考えたくない。
 人生を喜劇的に表現しただけで、それだけでいいのである。ユーモアは徹頭徹尾ユーモアでなくてはならない。例えば、モリエールの作品は、読んで了った後に人生の滓《かす》が残る。「ユーモア小説」は読後に何んにも残らなくてこそいいのである。だから「ユーモア小説」はその国独特のものでなくてはならないし、作者自身にも凡ゆる事物に対する特殊な神経、――敏感性が必要なのである。モリエールの諷刺、シエクスピアの洒落は翻訳し得るであろう。だが「浮世風呂」等は翻訳して了っては大半の味わいは抜けて了う。従って、文学的にも永久的な価値が非常に少いものしか出来ないのである。言葉のニュアンスとかその国語独特の洒落とかは、かなり「ユーモア小説」には必要であって、然も翻訳出来ないものなのである。従って一般性もないわけである。
 例えば近年流行した俗語に、「いやじゃありませんか」という言葉があった。それは最も巧みに使うとき、人を失笑させることができた。と同時に、その流行のすたれた時、その言葉は無価値な、嫌味以外の何ものでもなくなる。
 又、例えば今日、「竹取物語」を「ユーモア小説」だといったとて、夫れを承認する人はないであろう。だが、「竹取物語」は当時の「ユーモア小説」に違いなかったのだ。その当時のユーモアが今日ではわからなくなっているのだ。その時代の風俗や、欠点、特徴なぞを最も誇張したもの、そうした作品は風俗の変化とともに滅ぶのである。
 以上のごとく、不偏普及的な「ユーモア小説」が要求されながら生命が短く、今日のごとき動揺時代には殆んど本当のユーモア作家もあらわれ難いのではないだろうか。
 今日、代表的なものといえば、やはりアニタ・ルースの「殿御は金髪がお好き」位であるが、それとてもアメリカの風俗特に近代女性の誇張であって、アメリカ人、アメリカを知るもののみに面白く読まれるのである。勿論、今日、日本のみならず諸国がアメリカ化されつつある点から見て、アメリカニズムは日本人のみならず世界中の人びとにもしたしみ易いであろうから、従ってある点までの普及性は有するであろうが、その翻訳に依る価値の半減はどうにも出来ない事実であろう。
 その他、アメリカには、撮影所の物語を書く、オクタヴァス・ロイ・コーエンとか、近代的なユーモア作者であるドナルド・オグデン・ステワードがいるし、英吉利《イギリス》には有名なウオドハウスがいる。カナダのリーコックも流行作家である。読者はそれらを参照されたい。

  第十章 愛欲小説

 嘗て、総論の処で、私は恋愛を八種にわけて置いたが、後で見ると六つしか挙がっていない。そこで、もう少し詳しく私の考えを述べて見よう。
 第一に、「思春期的恋愛」である。例えばゲエテの「エルテルの悩み」なぞはこれに属する恋愛であろう。現実の場合あのように純粋に長くは続かないだろうが、少くとも普通には二十歳位までの、盲目な、熱烈な、それでいて性欲的よりも感情的な、純情極まる恋愛である。ツルゲネフの「初恋」なぞもそうである。既に異性を知って了った男女には、もうこんな感情は再び見られないものである。
 第二の、「母性的恋愛」は、古い我国の女性の恋愛道徳の唯一つの規準であった。菊池幽芳なぞの「家庭小説」の女主人公はすべて之であった。之は、日本の女性の奴隷的な生活を端的に表したものに外ならない。現在でも、尚この古い殻は尊いもののように女性及び男性の頭にこびりついている。鶴見祐輔君の「母」なぞは可成りこんな恋愛観念が含まれているようである。だが、若い女性の生活の変化は次第にこんな型から抜け出ようとしている。何よりも良人がほしい、良人が出来れば全的に服従する。そして、その後の女性としての仕事は、母として子供を育てることだけである。だが、生活難はすでに経済的に良人を信頼するに足りぬものとした。一方女性は自らの職業を見出し、自ら生活する道を男性の手から奪った。こうした結果は、新らしい恋愛と結婚の道を彼女らに指し示しているのである。「母性的恋愛」は一つの美しかりし思い出になろうとしている。
 第三は、「性欲的恋愛」である。異性の体臭を知ったものは、必ずこうした恋愛感情を多少とも持つだろう。女を見ることがすでに姦淫である、という言葉はこうした意味で正しい。神さまは、性欲を掩う美しいベールとして恋愛感情を人間に与えたのであろう。だが、智慧の林檎を一たび口にした人間は、これを逆用した。人間の赤裸々な感情は一寸でも美しい異性に接すると性欲を持つのである。写実主義小説は多くこんな恋愛を解剖している。

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