芸という名称を口にし、同氏が擡頭《たいとう》すると同時に、この名称が一般化して、今日の如く通用する事になった。字義の正しさより云えば、大衆とは、僧侶を指した言葉であるが、震災前に、加藤一夫らによって、しばしば民衆芸術、即ち、現在のプロレタリア芸術論の前身が、叫ばれていた事があり、それと混同を避ける為に、熟語である「民衆」よりも、新しく、「大衆」という文字を使用したのであって、民衆も大衆も、多衆の意味であることに、何等相違はない訳である。
 そこで、嘗《かつ》て震災前に加藤一夫等によって始めて提唱された民衆芸術とは、如何に違っているのか、ということを明らかにしておく必要があると思う。その当時提唱された民衆芸術というのは、かの、ロマン・ローランが唱えた「民衆の芸術」を我が国へ輪入したのであった。彼等の主張は、民衆のための芸術を作らなくてはならない、ということにあった。それらの芸術は、民衆そのものの中から生産されるか、それとも民衆の中から生れなくとも、それが民衆のために書かれた芸術でなくてはならない、というのであった。即ち、彼等によって嘗て叫ばれ、そしてその後発達して今日のプロレタリア芸術論となった、民衆芸術というのは、目的意識的のものであった。処が現在我々が問題としている大衆文芸というのは、何ら目的意識的なものではなく、通俗的といった程の意味のものなのである。その究局に於ては同じであるかも知れない。しかし、その出発点を異にしている。そういうような定義の解釈の相違に過ぎないのである。即ち、現在のままに於て定義を下すなら、大衆文芸とは、震災後に於て現れたる興味中心の髷物、時代物小説である、という事ができる。
 しかし、現在では大衆文芸はややその範囲を通り越して、大衆の字義のままに探偵小説をもその中に含め、進んでは、文壇人以外の、芸術小説以外の、新旧一切の作をも、含めようとするまでになっている。
 ただ未だに、通俗小説の名は残されているが、それは通俗的現代小説を指した物で、大衆文芸も同じ新聞に載り乍《なが》ら、新らしき時代の物のみを、特に、通俗小説、又は、新聞小説と称しているが、この区別は甚だ曖昧なのである。
 例えば、中村武羅夫、加藤武雄は、通俗小説家であるが、国枝史郎が現代物を書いても、彼は大衆作家であり、三上於菟吉が、現代物、時代物二つ乍ら書くと、通俗作家とも云われ、大
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