ぐずと述べるのも本講座の目的では無いと思うから、私は、本講座に必要な限りに於て、ずっと近代に接近している江戸時代の通俗的読物の類から考察を進めよう。
 江戸時代の、謂わば大衆文芸は、次の十種類に分ち得ると思う。
 一、軍談物(難波戦記、天草軍記)
 二、政談、白浪物(鼠小僧、白木屋、大岡裁きの類)
 三、侠客物(天保水滸伝、関東侠客伝)
 四、仇討物(一名武勇伝、伊賀越、岩見重太郎)
 五、お家物(伊達騒動、相馬大作、越後騒動)
 六、人情、洒落本物(梅ごよみの類)
 七、伝奇物(八犬伝、神稲《しんとう》水滸伝)
 八、怪談物(四谷怪談、稲生《いのう》武太夫、鍋島猫騒動)
 九、教訓物(塩原太助の類)
 十、戯作(八笑人の類)
 此等、江戸時代の通俗小説類を一貫して見るのに、勿論当時の幕府の封建的支配の影響の下にあったためでもあるが、次のような諸点がそれ等の作品を通じての特徴として挙げられると思う。
 一に、当時の以上の作品は、凡て全然無批判であった。そして、
 二に、ある一つの型に、すっかり嵌《はま》り込んで了っていること。
 三に、概して、勧善懲悪を目的としていること。そして、そのために、屡々《しばしば》、事実が極端に曲げられ、或は誇張されている。且、歴史的事実の研究が、非常に不足していたこと。
 四に、空想的な、想像力がとても貧弱で、お話にならないこと。例えば、稍々《やや》江戸時代の雰囲気の出ていると思われる第十の「戯作」にしても、都会人中の極く狭隘《きょうあい》なサークル内の人達の生活を描いているのに過ぎないのである。
 それ等の欠点のためでもあり、亦、幕末から明治へかけての政変のためでもあるが、江戸時代の民衆の文芸は、幕府の末に到って遂に堕落し、みる影もなくなったのであった。
 では、次に明治時代にはいって、大衆的なる文芸として、先ず最初に何《ど》んなものが現れ出《い》でたであろうか。否、現れざるを得なかったか。
 提督ペルリの来朝、幕府の倒壊。そして明治維新、開港となり甫《はじ》めて日本は数百年の怠惰|安佚《あんいつ》の眠りから覚めた。西洋の文物は続々として輸入され、封建的鎖国の殻を破った我が国は、忽ちにしてその風貌をあらため始めた。即ち遅ればせながら、西洋先進諸国に伍せんとして、日本の資本主義は、遂には不完成に終ったとは云え、隆々たる発展の端緒を開きは
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