た。甚七の姿が、闇の中に立って、声が聞えると共に、このまゝ二人が捕えられてもいゝと思った。
「手紙をみた。有難いぞお新――お新、どうしてここへ、えゝ?」
そう聞かれると一番に浮ぶのは、美しいお俊の事である。
「お身は甚七に内通したな。」
と、云われた時の顔、女同士ですぐ判るお俊の心。
「江尻で皆さんに逢いました。」
「江尻で?――今日明日にはこゝら辺を通る筈だが――」
「お逢いなされても無駄で御座んす。」
「いや、身のあかりを立てさえすれば――」
「妾は何うなろうとも――」
途端に
「御用だ。」
躱《かわ》して
「命は助けるぞ、道案内せい、お新、一まず京へ参ろう、話は道々。」
篝火《かがりび》をたいている山下の村々。
「お前の袖と、わしが袖か――」
「旦那いゝお声で――」
「黙って案内しろ。」
[#8字下げ]七[#「七」は中見出し]
二人の流し。
「こういう生活もいいな。」
女にとっては
「これに限る――このまゝで居たい。」
だが、二人が流している時に、通りすぎる駕《かご》には勿論、お俊が乗っていなくてはならぬ。そして、二人が茶店へ呼ばれて上った奥の小間にはお俊がいた。
「こういう姿で無いと昼間歩きもできぬ。丁度人目を胡麻化すにはいい伴《つ》れで。」
お新は胡麻化し道具にされているのが口惜しいと共に、お俊は胡麻化されているようなのが口惜しかった。
こういう場合、男女の何《いず》れにとっても最上の方法は三人共別々になる事である。
「何よりも先に山田を捕えて白状させなければ――」
「お新は一まず元へ戻り、お俊殿は山田の様子をさぐりに、私は京へ出て知らせを待つとしよう。」
「では途中まで――」
「いや、こうきまる上は、北国を廻って安全な道を、京の宿所《しゅくしょ》は妙心寺内。」
「そうきまれば、お新さんと私は――」
「いいえ、妾は一人で――」
「では、――御無事に。」
「妾は元へ戻りませぬ。」
「何うして?」
「さあ、何うなりますやら――お俊さま。」
却説《さて》、山田某。女共の軽い口からちらちら洩れる噂も気になるし、折柄の坂本警護を、いゝ機《おり》に、彦根を出《いで》、江洲へ行った。お俊が戻ると共に、この事を知ったのは勿論である。そして、これも勿論その由を、すぐ京へ知らせるべく彦根を出た。それから、お新が、この女も勿論、山田が坂本へ行った事をさぐったから、京へ向った。
佐々木兄弟が帰った時、この噂は、これも勿論耳に入るし、お新の証言もあり、とにかく山田をと云う事になった。が、それよりも困る話は、来馬に殺された男の父が、来馬を召捕えようとしているし、当然、理由の無いこの殺人は切腹に価する事であるから、同じ来馬を殺すものなら、武士らしい最後を、――それからお俊が、来馬と事を起して、自分らの面目に関係せぬよう――この際の処置は早い方がいゝ、と。
又、説く、山田某、お俊が訊ねてくると共に、甚七の来京を知った。
「召捕えてしまえばいゝ。」
そうして、書状を発して役人に知らせると共に、甚七を呼寄せる手段を講じた。お俊は山田を甚七の所へ、誘出しさえすればいゝと、山越えに雲母阪《きららざか》へかかった。
甚七は昔の侍姿で待っていた。
「珍しい山田君。」
「いろいろまちがいが有ったそうで迷惑だろう。何処《どこ》へ行く。」
「少し話があるが。」
いざと云わば一刀にと、甚七、少し長い間をもたしさえすれば十分に取巻けると山田君。
時に麓からお新が、甚七の後を追うて――その背後《うしろ》より馬上の佐々木
「お新で無いか? 甚七がこの道を行ったと云うがそうか。」
「はい、敵の山田を白状させると今朝程――」
「あの金入はもっておるか――よし、身共の馬に乗れ――何《な》に、気づかいは無い。」
一鞭《ひとむち》、急阪を馳登《はせのぼ》る一方
「山田、逃れぬぞ。」
と、詰よると共に、合図の手、こゝに乱闘始まって、とゞ山田は斬られると共に、お俊が手を負う。何れ逃れぬ命と、甚七がお俊を斬って己も咽喉を――。
そこへ蹄音《ていおん》高く、お新を抱いて馳せつける佐々木
「お新――」
と、微かに来馬甚七の断末魔、左手にお俊の亡骸《なきがら》を、右に泣きくずれるお新の手をとって、今に残る雲母阪の心中物語。
底本:「昭和のエンタテインメント50篇(上)」文春文庫、文藝春秋
1989(平成元)年6月10日第1刷
初出:「文藝春秋」文藝春秋
1926(大正15)年10月
入力:大野晋
校正:山本弘子
2010年4月15日作成
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