れたままで話している。あたかも自分は星を見るに足らないと言うように。しかしともかくも、伊太利《イタリー》の僧院に行ったにしても、またスペインの大本山を訪れたにしても、これほど真実に坊さんらしい会話は聞かれそうにもなかった。
 最初ヴァランタンが耳にしたのは、師父ブラウンの話の終りの一節だった。それはこう結んだ。「……諸君の天国と言う言葉によって、中世紀に人々が考えていたのは、全く不滅なものですぞ」
 大きい方の僧侶はうなだれた彼の頸《うなじ》で、うなずいて見せてから言った。
「御もっともじゃ、近代の不信心者共は、何かと言うと彼等の理性に訴える。だがあの何億という星の世界を見つめて、この我々の住む地上に、人間の理性で推し量られんものがあるということを感ぜぬものがあるだろうかな?」
「いやいや」と他の僧侶が言った。「理性は常に正当なものじゃ。わしだとて、世の中の人々が、教会は理性の価値を低めるというて、非難するのはよく知っておりますぞ。だが、これは全然反対じゃ。この地上においてのみ、教会は理性を真に最高のものとするのですぞ。この地上においてのみ、教会は神御自身も理性によって繋がれたもうことを肯定するのじゃ」
 この時、相手の僧侶は、厳粛そうな顔を上げて星空を仰ぎながら言った。
「おお、しかし誰かこの無限の宇宙を――?」
「無限とは、ただ物質的にじゃ」と小さい方の僧侶が彼の身体《からだ》を廻して言った。「真理の法則をのがれると言う意味の無限ではないて」
 ヴァランタンは木かげにいて腹立たしさに彼の指をやけにこづいた。彼はまるで自分の下らない当推量のためにこんな馬鹿々々しい老僧の哲学話をきかされているイギリスの探偵達がうしろであざ笑っているような気がした。
 ヴァランタンは癇癪を起したので高い方の僧侶の答をきき落して、彼が再び耳にしたのは師父ブラウンの話だった。
「理性と正義はあの空の涯《はて》の淋しい星をもつかんでいますぞ。あの星を御覧なされ。まるでダイヤモンドか青玉《サファイヤ》のようには見えんかな? おのぞみなら一つ気ままな植物学なり地質学なりを応用してはいかがじゃ。磐石《ばんせき》の幹に宝石の葉のついた有様を考えて御覧じろ。あの月が一個の青い月だと考えてみられい。一つの大きな青玉《サファイヤ》じゃとな。が、しかしじゃ、そうした勝手な天文学が、行為の上の理性と正義の法則と少しでも違うと思ってはならんのだ。あすこの猫眼石《オパール》の平原にも、真珠でちりばめた断崖の下にも、貴公は必ずや『汝、盗みするなかれ』の禁札を見まするぞ」
 ヴァランタンは、この一生涯に始めての馬鹿げた大失敗から、落ち込んだこの窮屈な姿勢から逃げ出そうと、もう身がまえるばかりだった。が、高い方の僧侶がだまっている中《うち》に、何となくあいつの答えを聞いてからにしようという気になった。遂に彼が話し出した、頭を垂れ両手を膝にのせて彼は簡単にきり出した。
「なるほどな。だがわしはやはり、地球以外の世界はおそらく我々の理性よりずっと高いところにあるものだと考えますな。天国の神秘は量ることが出来ませんて。わしはただ頭《かしら》を垂れることを知るのみですぞ」
 それから、彼はちょっと眉をよせて、しかし態度や声の調子は少しも変えずに、つけ加えた。
「貴公の青玉《サファイヤ》の十字架を下さらんか。どうだな? 幸いあたりに人も居らん。わしは貴公を藁人形のように八つ裂きにも出来ますぞ」
 少しも変っていないその声や態度は、その話の変化に、かえって奇妙な恐ろしさを与えた。それにもかかわらず、宝物《ほうもつ》の持ち主の方は、わずかに頭を動かしただけだった。そしてどこかぼんやりとした顔を星空の方に向けた。たぶん、彼は、その意味が判らなかったのだろう。でなければ、たぶん彼は腰を抜かしてしまったに違いない。
「左様」と高い方の僧侶は同じような低い声で、同じ態度で言いかけた。「左様、俺はフランボーだよ」
 それから、少し間を置いて、彼は言った。
「さあ、十字架はくれるだろうな?」
「いやだ」と対手《あいて》は言った。そしてこの一言は実に不思議なひびきを持っていた。
 フランボーは今まで被っていた僧侶の仮面をがらりと脱ぎすてた。この稀代の盗賊は、反り身になって、低く長くあざ笑った。
「いやだと」と彼は叫んだ。「くれないと言うのか、大僧正猊下《だいそうじょうげいか》。くれたくないだろうとも。ちんちくりんのお聖人さん。なぜくれたくないか教えて進ぜようかな? その訳はな、もう俺様がちゃんと、このポケットに持っているんだ」
 小さいエセックス男は、夕闇にもありありと驚愕の色を見せた。そしてまるで『秘書官』が示すようなおどおどしたものごしで言った。
「ホウ! それはまたほんとかね?」
 フランボーは大満
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