件なんだが、君、鍔広帽を冠った二人連れの坊さんを見かけなかったか?」
「ハア、見ましたです」巡査はのろのろと笑いながら言った「ひとりの方《ほう》は大分酔ってるようでした。往来の真中で、ハテどっちの方角へ行ったものかって言うような腰つきをしましてな――」
「どっちの道へ行った?」ヴァランタンはつっこんだ。
「あの黄色い乗合に乗って」と巡査は答えた。
「あれはハンプステット行《ゆ》きです」
ヴァランタンは警察手帳を示して早口に言った。
「では、至急君の同僚を二人呼んでくれたまえ。僕と一緒に追跡してもらうんだ」
彼は、伝染病のようにすごい勢力をもって向う側に突っ切った。で、鈍間《のろま》な巡査も思わず身軽について行った。一分半ばかりで、このフランスの探偵は、イギリスの警部と私服の巡査とを仲間に加えた。
「それで」と警部は重大そうな顔付きに微笑を浮べて言った。「事件は――」
ヴァランタンはすばやくステッキで指さした。
「あの乗合馬車の二階に乗ってから、お話ししよう」もう彼は激しい往来を縫ってす早く突進していた。三人が息をはずませて黄色い乗合の階上席についた時、警部は「タクシイなら十倍も早いでしょうに」と言った。
「その通り」ヴァランタンは落付いて言った。
「行先《ゆきさき》がはっきりしていればね」
「へえ、それでは我々は一体どっちへ行《ゆ》くんですか?」と驚きの目をみはって巡査がたずねた。
ヴァランタンはむずかしい顔をしながら、しばらく巻煙草をふかしていたが、それを口から放すと、彼は言った。「君がある人のすることを知っているなら、前に行けばいいんだ。また何をするか当ててみようというんなら、その人のあとについて行くんだ。その人が道を外《そ》れたら、自分もそれる。止ったら止るんだ。その人のゆっくり行く通り、君もゆっくり行くんだ。そうすれば、君は、その人の見るものを君も見るし、その人のすることを君もすることになるんだ。問題は、何か奇妙なものにしっかりと目をつけるにあるんだ」
「一たい、どんな奇妙なことなんです?」と警部がたずねた。
「奇妙なものなら何でもいいんだ」とヴァランタンは答えると頑固に口を噤《つぐ》んでしまった。
黄色い乗合馬車は、ゆっくりと、北部の道路を何時間も走り歩いた。大探偵はもう何にも説明しなかったし、その助手達は自分の役目について無言の疑惑を増して行っ
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